苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン1月25日  主に心ひらいて

申命記11:16
気をつけなさい。あなたがたの心が迷い、横道にそれて、ほかの神々に仕え、それを拝むことのないように。(新改訳)


汝ら自ら愼むべし心迷ひ翻へりて他の神々に事へこれを拝む勿れ(文語訳)


あなたがたは心が迷い、離れ去って、他の神々に仕え、それを拝むことのないよう、慎まなければならない。(口語訳)


あなたたちは、心変わりして主を離れ、他の神々に仕えそれにひれ伏さぬよう、注意しなさい。(新共同訳)

感想
 訳文を比較して気づくのは、新改訳、文語、口語は「心が迷い」とあるのが、新共同訳のみ「心変わり」とニュアンスの強いことばが用いられていること。ヘブル本文では「パーター、開かれ、open-mindedにされ」ということばだから、「心開き」「心の隙に入られて」という感じだろうか。英訳では「誘惑されて、欺かれて」ともある。
 また新共同訳では「主を離れ」というふうに、「主」を補うことによって、その文意を明らかにしようとしているのも特徴。

 ともかく、<心の隙につけ込まれ、主から離れ、他の神々に仕え、ついにこれにひれ伏す>という、偽りの神々への礼拝へのプロセスを示しているようである。イスラエルの民がカナンの地に入って見ることになるのは、その地の豊穣の神々に対する淫靡な祭りであった。そこには彼らの心を開かせ、主に背かせ、偶像礼拝へと引き込んでゆくような魅惑があったのだろうか。
 今日は主の日。「心」のうちを聖い御霊に満たしていただいて、主に対して心開いて、ひたすらに主を求めたい。