苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン1月19日  主よ 御怒りもて

詩篇6:2,3

【主】よ。私をあわれんでください。
 私は衰えております。
 【主】よ。私をいやしてください。
 私の骨は恐れおののいています。
私のたましいはただ、恐れおののいています。
 【主】よ。いつまでですか。あなたは。(新改訳)


6:2主よ、わたしをあわれんでください。
わたしは弱り衰えています。
主よ、わたしをいやしてください。
わたしの骨は悩み苦しんでいます。
6:3わたしの魂もまたいたく悩み苦しんでいます。
主よ、あなたはいつまでお怒りになるのですか。(口語訳)


6:2ヱホバよわれを憐みたまへ われ萎みおとろふなり ヱホバよ我を醫したまへ わが骨わななきふるふ 6:3わが霊魂さへも甚くふるひわななく ヱホバよかくて幾何時をへたまふや(文語訳)


主よ、憐れんでください。わたしは嘆き悲しんでいます。主よ、癒してください、わたしの骨は恐れ、わたしの魂は恐れおののいています。(新共同訳)

<感想>
2節は「私」が繰り替えし強調される。3節の訳文は、新改訳の「主よ いつまでですか あなたは」がもっともヘブル語本文における苦悩する詩人の途切れそうなことばの雰囲気を伝えている。


 私が最初に通い、洗礼を授けていただいたのは、神戸市の須磨にある改革長老東須磨教会だった。その教会の特色は、礼拝賛美として詩篇歌のみを用いるという点だった。数ある詩篇歌のなかで、確かシューマンの旋律をつけた第六篇は私にとってもっとも印象深いもののひとつである。
 東京基督神学校一年生の春、私の父は食道がんが発見され、そのときすでに手遅れ、余命半年という診断がくだされた。神戸の病院で闘病している父を思い、母を思いながら、神学校での学びを続けていた私はひとり祈りの時間に父の苦悩を思い、この詩篇を口ずさむことが多かった。その第一節、第二節は次のように歌われる。
 

「主よ、御怒りもて 我をば責めざれ
  はげしく怒りて 懲らしめ給うな
  主よ あわれみもて 我をば見給え
  我いたく弱り 衰えはてたり

  主よいそぎ我を癒し給えかし
  そは我の骨はうちふるえばなり
  我が魂さえいたくうちふるう
  主よかかるときのいつまで続くや

  ・・・・・
  我嘆きにより いたく疲れたり
  我は夜もすがら 床を漂わせ
  我が涙をもて 褥をぬらせり
  我が目は憂えに 弱り衰えぬ」


 8節にあるように、詩人は不法を行う敵によって苦しめられていた。しかし、信仰詩人はその苦難を主の御怒りであると受け止めて、このように骨の叫び、たましいの叫びを主に対して上げたのだった。その敵が病魔であったとしても、あるいは悪をなす人であったとしても、信仰者はいっさいの出来事が、木の葉の一枚が落ちることも、神の許しなくしては落ちることのないことを認識しているから、苦悩の淵から天をふり仰ぐとき、「主よ 御怒りもて 我をば責めざれ」と叫ばないではいられない。
 手術後、しばらく症状は軽快したが、三ヶ月ほどすると再び症状が坂道をくだるように悪化して行くなか、父は日夜絶えずさいなまれて、骨もたましいも震える不安のなかに置かれていた。夏休みに看病でいっしょにいたとき、父は「神様がとおくに行ってしまわれたという感じがするんや」と漏らしていた。私も、そういう父を励ましながら、心は不安であった。このまま神への希望を失って父が世を去ることになってしまったら、どうしようか、と。
 しかし、魂と骨の慟哭のような主に対する叫びは聞き届けられる。詩人は後半からその結びに向かって、突然、力強く歌い上げる。

 不法を行う者ども。みな私から離れて行け。
【主】は私の泣く声を聞かれたのだ。
【主】は私の切なる願いを聞かれた。
【主】は私の祈りを受け入れられる。
 私の敵は、みな恥を見、
 ただ、恐れおののきますように。
 彼らは退き、恥を見ますように。またたくまに。

 四月十日に手術を受けた父は十月十日、ちょうど半年後に天に召された。五十三歳であった。父が母に遺したことばは、「きみと結婚して幸せだった。きみと結婚したから、ぼくはキリストを信じることができたから。」ということばだった。


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