苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン1月16日  神の恵みとまこと

申命記7:7,8
【主】があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、【主】があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、【主】は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたを贖い出された。(新改訳)

7:7主があなたがたを愛し、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない。あなたがたはよろずの民のうち、もっとも数の少ないものであった。 7:8ただ主があなたがたを愛し、またあなたがたの先祖に誓われた誓いを守ろうとして、主は強い手をもってあなたがたを導き出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手から、あがない出されたのである。(口語訳)

7:7ヱホバの汝らを愛し汝らを擇びたまひしは汝らが萬の民よりも數多かりしに因にあらず汝らは萬の民の中にて最も小き者なればなり 7:8但ヱホバ汝らを愛するに因りまた汝らの先祖等に誓し誓を保たんとするに因てヱホバ強き手をもて汝らを導きいだし汝らを其奴隸たりし家よりエジプトの王パロの手より贖ひいだしたまへるなり(文語訳)

主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導きだし、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。(申命記7:7,8)

 諸訳に大きな差異はない。7節の「恋い慕って」「愛して」「心引かれて」という訳語のちがいくらいか。8節の「愛し」とは別語。新共同訳の「心引かれ」という漢字の用法には疑問あり。むしろ、「心惹かれ」だろう。
 神の愛と選びの一方的・恩寵的性格をもっとも明瞭に表現しているのがこの聖書箇所である。選ばれる側になにか取り柄があるわけではない。ただ、主が自由に恋い慕い、しかも気まぐれでなく徹底的に誠実であられるがゆえに、ご自分の民をお見捨てにはならない。
 「【主】があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから」とことばが重ねられているところに肝がある。愛は対象の価値から自由である。しかも、神の愛は真実に裏打ちされた愛であり、きまぐれではない。旧新約聖書に一貫して繰り返される神の契約における「恵みとまこと」。
 自分の何の取り柄にもよらず、ただ神が慕ってくださったことゆえに選ばれたという事実は、人を「価値」の束縛から解放する。その選びを変えることのない神の真実は、人を誠実に生きる道へと導く。