苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

手話をするゴリラ


 手話で1千語もおぼえたゴリラ、ココの話です。ココさん(雌)は文章が出来ているわけではないので、「会話」とまで言えるかどうか疑問ですが、少なくとも単語を並べて自分の感情を表現することはできるようです。
 国道141号の松原湖への上り口で、自分の子どもが車にはねられたニホンザルが、死んだわが子を抱いて悲嘆にくれていたのを家内が目撃しました。動物にも、喜んだり悲しんだりする心があることは、「科学的(?)」偏見に満ちた動物学者や動物機械論を唱える哲学者以外、犬や猫を飼ったことのある人ならば誰でも知っていることです。
 その感情を相当抽象的な手話という方法で表現できた点にココのすごさがあるのでしょう。まあ、バラムのロバにはかないませんが。

 【主】の使いは、さらに進んで、右にも左にもよける余地のない狭い所に立った。ろばは、【主】の使いを見て、バラムを背にしたまま、うずくまってしまった。そこでバラムは怒りを燃やして、杖でろばを打った。
すると、【主】はろばの口を開かれたので、ろばがバラムに言った。「私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは。」
バラムはろばに言った。「おまえが私をばかにしたからだ。もし私の手に剣があれば、今、おまえを殺してしまうところだ。」
ろばはバラムに言った。「私は、あなたがきょうのこの日まで、ずっと乗ってこられたあなたのろばではありませんか。私が、かつて、あなたにこんなことをしたことがあったでしょうか。」彼は答えた。「いや、なかった。」
民数記22章26−30節