苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

『シュリーマン旅行記 清国・日本』

 トロヤ遺跡の発掘で有名なシュリーマンの幕末の日本探訪記『シュリーマン旅行記 清国・日本』(講談社学術文庫)を、昨日と今日の新潟への往復の新幹線のなかで読みました。たいへんに興味深いものでした。あの時代の日本文化の型は、今日につながっている部分が大きいなあと感じました。
 昨年、日本国憲法制定プロセスを調べる中で、ラフカディオ・ハーン『日本の心』という本と出会って以来、この手の本に引き寄せられています。戦後の日本統治政策の立案者として採用された知日家たちは、そろってハーンの上掲の書の愛読者であり、その書物のゆえに彼らはとても親日的になっていたのでした。それが、戦後の米国の占領政策が他国の場合とことなって緩やかなものとされたのだということです。一冊の文学的書物が、一つの民族の運命を左右するということがあるのだと、たいへん印象的でした。
 ハーンの本を二冊読んでから、しばらく遠ざかっていましたが、今月初頭長野新幹線に乗ったとき、「トランベール」という旅行誌にイザベラ・バードという女性が明治10年ころに日本の東北地方を探訪した記録が紹介されていました。これまた大変興味深く、かの時代の日本人の姿、生き方が紹介されています。『日本奥地紀行』(東洋文庫 平凡社)からの抜粋でしたから、この本を古本で1円で手に入れると同時に、冒頭のシュリーマンも手に入れたのです。
 当時の日本の庶民が、生活ぶりは貧しそうではあるけれども清潔を好み、笑顔が印象的であったという記述は共通しているのです。その愛想笑いは、時に西洋人からは「侮辱的笑い」と誤解されてひどい目にあうこともあったようですが。