苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

権力者には二つの顔がある

神のしもべ

 神のことばである聖書は、国家権力者には二つの顔があると教えている。第一は、剣(法と警察)をもって社会の秩序を維持し、徴税によって貧富の格差を補正する「神のしもべ」という顔である。人間はアダム以来堕落してみなわがままになっているので、法と警察という強制力がなければこの世は治められない。たしかに法定速度の札が立っているだけでは、多くの人はスピードを守らないだろう。違反してつかまると罰金刑だと知っているから、やっとこさ守っている。国家が神のしもべとしてこのような仕事に励んでいるかぎり、私たちはこれを尊重して善行に励み、また、納税する義務がある。
 

「あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。」

(ローマ書十三章七節)


悪魔の手下
 聖書が教える国家権力者のもう一つの顔は、「悪魔の手下」としての顔である。悪魔は権力と富と名誉を志向して野望を抱く人に対して「私を拝め。そうすれば、世の権力・栄耀栄華をあなたのものとしてやろう。」と言って誘惑する。そんな誘惑に敗れて魂を売り渡すならば、悪魔は彼に異常な力と位と大きな権威とを与える(ルカ四章六―八節と黙示録十三章全体参照)。
 悪魔の手下となった権力者の特徴は、分を越えて傲慢で独裁的なこと、虚言を平然と言うこと、軍備拡張を好むこと、思想統制・扇動することである。アドルフ・ヒトラーについて、著名な心理学者ユングはこう言っている。「ヒトラーは真に神秘的な呪師の範ちゅうに属する人間である。彼は予言者の目をしている。彼の力は政治的なものではない。それは魔術である。」悪魔の手下となった権力者の絶頂期はたしかに華々しいが、最後には、国を滅ぼし自らも滅ぼしてしまう。


だから、とりなし祈ろう

国家権力は本来、神のしもべとして国民の福利のために仕える有用な存在なのだが、歴史を振り返ると、悪魔に魂を売って力を得、国民を扇動した末に、国と自分を滅亡に向かわせてしまった者たちが何人もいたことがわかる。
だから、聖書は私たちに、国の指導者たちのために愛をもってとりなし祈りなさいと命じている。彼が、闇の影響力から解放されて、憲法の下にある己が分をわきまえて謙虚に政治を行なうように。正しい人をほめ、悪い人を抑制する統治をするように。富者をますます富ませ、貧者をますます貧しくする税制をやめて、適切な税制によって貧富の格差を補正して、みなが安心してのびのびと生活ができる社会をつくるように、と。

「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。」(第一テモテ二章一、二節)

(通信小海250号より)