苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

マスメディアは信用できないから

 昨夕6時から首相官邸前で「集団的自衛権行使容認閣議決定」に反対する、過去最大級の規模のデモがなされた。0時まで続いたそのようすは、IWJ(Independent Web Journal)で中継されていた。全体で4万人ほどの人々が集まったという。
 ところが、昨夜、NHKが報道したのは、長崎で200人の人々が「集団的自衛権行使容認閣議決定」に反対する集会をしたという件と、多くの地方議会から本件反対の決議が上がっているという件だった。深夜11時に毎日系の報道で現地レポート、TBSが午前1時45分、ほとんど誰も見なくなってから「官邸前で最大級のデモ」というニュースを流した。NHKは今朝になって、「主催者発表1万人規模のデモ」という報道だった。つまり、大手マスメディアはほとぼりが冷めてから、少しばかり「アリバイ工作」報道したということである。(原発ムラの○売、○経の報道には最初から期待していない)
 昨日はJR新宿駅南口で「集団的自衛権行使反対」の意思表示をして60歳ほどの男性がガソリンをかぶって焼身自殺を図った。その行為自体は決してよいとはいえないけれども、<戦争放棄>という日本国憲法の三大原理の一つを閣議決定という国民の手の届かず、政府にとってはお手軽な方法で変えてしまい、米国と官界と財界の意向にしたがって、日本を戦争にひきずりこもうとする卑劣なやり方に、生命を賭して反対意志を表明する人がいるということは、国民が知るべき重大な事実であることにまちがいない。世界中で報道されていて、さすがに民放はこれを報道したが、NHKはこれを黙殺した。
 筆者が、日本のマスメディアに疑問を感じ始めたのは、民主党に政権が移り、小沢一郎氏が民主党代表になろうとしている時期のマスメディア挙げてのネガティブ・キャンペーンとしての赤松事件報道以来のことである。結局、小沢氏の裁判の結果は無罪だったが、彼の政治生命は絶たれた。
 さらに、2011年3月11日以降の福島第一原発事故の報道を見て、決定的に、日本のマスメディアは信用できないと結論した。原子力安全保安院と東電が発表することを検証もせずにたれ流すマスメディアの情報が「デマ」であり、彼らが「デマ野郎」といって記者クラブから追放した独立系のジャーナリストが真実を伝えていた。その事実が徐々にあきらかにされたのは半年以上すぎてからである。しかも、大手マスメディアは、この件について謝罪や反省を述べたということは聞いたことがない。
 だが、諸外国の記者たちは、国と東電の発表はウソまみれだとわかったので、事故後1ヶ月後には、原子力安全保安院・東電の外国メディア相手の記者会見の場には、ひとりの参加者もいなくなっていた。外国メディアの記者たちは、真実を伝える原子力資料情報室や小出助教など良心的な学者たちに情報をあつめに行っていた。
 結局のところ、日本の大手メディアは、政府・官界・財界の意に反することについては報道しないというのが実態なのである。
 本来、民意に沿った政治が機能するためには、ジャーナリズムの役割は非常に重要である。国民全員が政治に直接参与することができない以上、主権者である国民は自分たちの代表を雇って権威を与えて政治を行なわせるほかないわけである。ところが、権力者というのはえてして、国民から付与された権力を、財界・官界(とその背後の宗主国)の意向に沿って用いる傾向がある。だから、国民はジャーナリズムによって権力を監視する。ジャーナリズムが政官財と癒着してしまったら、国民は目隠し・耳栓をされ猿ぐつわをされたも同然である。旧約聖書の構図でいえば、大手マスメディアは偽預言者の役割を果たしてしまっているのである。戦時中もそうだったし、今でもそうである。
 今回の官邸前デモに関する報道を見て、独立系メディアの会員になろうかと本気で考えるようになった。大手企業をスポンサーとせず、市民の会費で維持していくのが独立系ジャーナリズムである。


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