苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

日本国憲法の制定過程(その6)GHQが憲法研究会「憲法草案要綱」に注目した背景

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GHQ民政局が「憲法草案要綱」に注目した背景

 この憲法研究会の「要綱」には、GHQが強い関心を示し、これを英語に翻訳するとともに、民政局のラウエル中佐から参謀長あてに、その内容につき詳細な検討を加えた報告書が提出されている。ラウエルはホイットニー、ケーディス、ハッシーらと同じく実務経験をもつ法律家であった上に、シカゴ大学で民政訓練学校において、明治憲法と日本の政治制度の研究をし、その専門家として訓練された人物だった(小西豊治、前掲書pp101-102)。また、政治顧問部のアチソンから国務長官へも報告されている。こうして憲法研究会『憲法草案要綱』はGHQの英文日本国憲法の骨子を提供することとなった。http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/060shoshi.html .
 ラウエル中佐の証言がミズーリ州トルーマン・ライブラリーに保管されている。

「私は民間グループから提出された憲法に感心しました。これで(憲法改正が)大きく進展すると思いました」「私はこの民間草案を使って、若干の修正を加えれば、マッカーサー最高司令官が満足しうる憲法ができると考えました。それで私も民政局の仲間も安心したのです。『これで憲法ができる』と」。


さらに、ラウエル中佐は「民間の『憲法研究会』草案について、ケーディス(陸軍大佐・民政局次長)たちと話し合ったことについても、次のように述べている。

「たしかに話しました。憲法研究会の草案に関する私のリポートをケーディスと議論しホイットニー准将(民政局長)に提出する前に彼の承認を受けたはずです。私たちは確かにそれを使いました。私は使いました。意識的あるいは無意識的に影響を受けたことは確かです」 。


 また、GHQ憲法草案の中心となったケーディス大佐は、憲法研究会の「憲法改正案要綱(ママ)」があったから、アメリカ側は九日間で憲法草案を作成することができたのだ、と回想している(伊藤成彦『物語日本国憲法第九条』影書房2001年p32 )。鈴木昭典はケーディスにインタビューした際のことばを次のように記している。

「この憲法研究会案と尾崎行雄憲法懇談会案は、私たちにとって大変参考になりました。実際これがなければ、あんなに短い期間に草案を書き上げることは、不可能でしたよ。ここに書かれているいくつかの条項は、そのまま今の憲法の条文になっているものもあれば、いろいろ書き換えられて生き残ったものもたくさんあります。」(鈴木昭典、同上書p150)


 また民政局内での議論のなかでは、ケーディスは次のように述べている。

「しかしアメリカの政治イデオロギーと、日本の中での最良、または最もリベラルな憲法思想の間には、日本政府案との不一致ほどのギャップはないと思う」(鈴木昭典、同上書p196)


 憲法研究会のものが特に民政局のラウエルの目に止まり、GHQ草案作成上、格別の影響を持ったのにはつぎのような背景があった。ラウエルは直接には起草者の鈴木安蔵を知らなかった。しかし、「鈴木安蔵植木枝盛は、ラウエルが来日した当初からもっとも注目してきた名前であった。」(小西豊治『憲法「押し付け」論の幻』p105)というのは、ラウエルは鈴木の『現代憲政の諸問題』の巻頭論文「日本独特の立憲政治」の英訳されたものを読んでいたからである。ラウエルはこれをカナダの外交官であり当時最もすぐれた日本研究者であったハーバート・ノーマンから借りたが、実は、ノーマンはこの本を親交のあった鈴木安蔵から借りていたのだった。ノーマンは、明治に植木枝盛という偉大な民主主義者がいたこと、そして、鈴木安蔵がその研究者であることを知悉していた。こうしてノーマンを介して渡された件の論文によって、ラウエルの中に鈴木安蔵植木枝盛の名がセットで刻まれることになった。ラウエルは鈴木の件の論文の英訳されたものを民政局の同僚たちにも回覧して読ませた記録が残されている(小西豊治同上書p108)。
 憲法研究会の鈴木安蔵がものした憲法草案要綱が発表されたとき、ラウエルと民政局がただちにこれに注目して英訳したのには、このような背景があった。
 

④『憲法草案要綱』とGHQ草案
 事実、鈴木安蔵らの手になる「憲法草案要綱」の内容は、事実、松本委員会に押し付けられたGHQ草案によく似ている。ここに、憲法研究会案のうち、根本原則として述べられる<国民主権天皇の位置づけ、基本的人権>が述べられているところをもう一度引用しておこう。

「根本原則
 1 日本国の統治権は日本国民より発す
 1 天皇は国政を親らせず国政の一切の最高責任者は内閣とす
 1 天皇は国民の委任によりもっぱら国家的儀礼を司る
  (中略)
国民権利義務
 1 国民は法律の前に平等にして出生または身分に基づく一切の差別は之を廃止す
  中略
 1 国民の言論学術芸術宗教の自由に妨げるいかなる法令をも発布するをえず
  中略
 1 国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す
  中略
 1 男女は公的並びに私的に完全に平等の権利を享有す
 1 民族人種による差別を禁ず」

 1946年2月13日、GHQ民政局は英文の日本国憲法草案を日本側に渡した。日本政府松本委員会にとっては青天の霹靂だった。もっとも首相幣原喜重郎首相のみは、マッカーサーとのやりとりで、内容について相当承知の上であったという観測(堤堯)もあって、筆者はそれが的を射ていると思う。この英文新憲法の骨子は、日本人からなる憲法研究会「憲法草案要綱」だったのである。 http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/076shoshi.html