苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

日本国憲法の制定過程(その3)          日本国憲法関連 略年表

(2)日本国憲法関連 略年表

 下の年表をじっくりと読んでいただけば、日本国憲法は下の4つの総合だとわかると思う。
1 開戦直後からの米国側の、日本を軍国主義から解放することを意図した、用意周到な準備研究
2 鈴木安蔵による、明治期の自由民権運動の研究成果(儀礼天皇国民主権・人権尊重)
3 幣原喜重郎首相による天皇維持と「戦争放棄」提案
4 帝国議会での審議


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1881年明治14年
 植木枝盛東洋大日本国国憲按」発表。
自由民権運動の中でももっとも民主的な憲法案。「憲法研究会「憲法改正要綱」に影響。

1928年
8月27日 パリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン協定)締結。米国はじめ15カ国が国策の手段としての戦争の放棄を宣言する。日本の全権代表は幣原喜重郎
→幣原の「戦争放棄」はここに胚胎している。

1941年
12月7日 太平洋戦争勃発。

1942年
8月 米国国務省内に「極東班」が設置され、日本全面降伏後の政策について研究を始める。

1944年
2月 「戦後計画委員会(PWC)」が設置され極東班の研究をより具体化し始める。

1945年
8月14日 ポツダム宣言受諾。
9月27日 昭和天皇マッカーサー(以降Mと略記)を訪問。
10月9日  幣原内閣成立
10月11日 Mと幣原喜重郎首相の面談。
     Mは婦人解放など五大改革を幣原首相に指示。
10月25日 政府は憲法問題調査委員会(松本委員会)を設置する。
 →委員長の松本烝治は、国体護持を最優先課題とする。
 →Mが天皇に関する議論も解禁。
12月8日 松本国務相、「憲法改正四原則」を表明。
  
12月26日 憲法研究会「憲法草案要綱」(儀礼天皇国民主権・人権尊重)発表。
 →おもな起草者は自由民権運動憲法史の研究者鈴木安蔵。GHQ民政局はこれに注目。これがGHQ草案の骨子となる。

モスクワでの米英ソ中外相会議で極東委員会(FEC)を46年2月26日に創設することを決定。→極東委員会は天皇制廃止を強く示唆していた。

1946年
1月1日 天皇、「人間宣言」。
1月24日 幣原首相がMをペニシリンの礼のため訪問。「天皇維持」と「戦争放棄」を憲法に盛り込むことで合意。
 →これが9条の起源である。
1月25日 Mがワシントンへ「天皇擁護」の電報を打つ。
2月1日 毎日新聞が松本委員会の改正案をスクープ。
 →その内容は旧憲法と本質的な変更のないものだった。
2月3日 ホイットニー民政局長、M憲法改正三原則(天皇元首・戦争放棄封建制度廃止)を示して、民政局に草案作成を命ず。
2月4日 GHQ民政局 条文化作業を開始
 →2月10日成案。
2月8日 日本政府松本委員会、旧態然たる「憲法改正要綱」をGHQに提出。
2月13日 ホイットニー民政局長ら、GHQ草案を吉田外相・松本国務大臣らに手渡す。
2月22日 幣原首相はGHQ草案受け入れを閣議決定する。
 →GHQ草案の邦訳作業が極秘で進められる。
2月26日 極東委員会(FEC)が発足した。
 →これは天皇維持論者Mにとっての脅威。
3月4日 政府案をGHQへ提出するも、否定される。
3月5日 GHQ草案の対訳作業を徹夜で完成し、「憲法改正草案要綱」完成。
3月6日 政府は緊急記者会見で「憲法改正草案要綱」発表。
天皇は「憲法改正発議」の勅語を発出。
4月10日 戦後初の衆議院総選挙。30人を超える女性議員が選ばれる。
4月17日 「憲法改正草案」発表。
5月3日 極東国際軍事裁判所開廷。
5月16日 第90回帝国議会が開かれる
5月22日 第一次吉田茂内閣成立。
6月20日 「憲法改正案」、帝国議会に提出。
7月2日 極東委員会、憲法国民主権を明示することを求める。
8月24日 衆議院、第9条第2項冒頭に「前項の目的を達するため」という「芦田修正」を含む修正案を可決。
10月7日 貴族院、「文民条項」など4項目修正の上、憲法改正成立。
11月3日 日本国憲法発布。

1947年
5月3日  日本国憲法施行。
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<コメント>
日本国憲法はわずか9日間で書き上げたのだ」というのが言い古された改憲派の主張であるが、実態はどうだったのか。
 米国の日本占領政策には二つの指針があった。一つは、ポツダム宣言であり、もう一つはSWNCC-150「降伏時におけるアメリカの初期対日指針」である。これらは日米開戦直後から用意周到に準備されてきたものを背景としてできあがったものであった。
 日本側はどうか。まず、政府松本委員会が用意した改憲案は旧態然たるものだった。だが、民間の憲法研究会「憲法草案要綱」はGHQに特に注目・評価された。その内容は、明治の自由民権運動憲法史研究の成果だった。また、幣原喜重郎首相のマッカーサーに対する「戦争放棄」提案が、後の9条となる。さらに、帝国議会憲法改正案を鵜呑みにしたわけではなく、委員会を設けて相当に議論して修正案を加えた上で可決している(こちら参照 http://www.ndl.go.jp/constitution/gaisetsu/04gaisetsu.html)。