苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

出エジプト記の歴史的・政治的背景 その2 エジプト第18王朝の系図

<エジプト第18王朝 Ex1,2章関連系図

正妃イアフメス―――③トトメス1世――――――側室
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⑤正妃ハトシェプスト―――――④トトメス2世――側室
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          正妃―――⑥トトメス3世
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            ⑦アメンホテプ2世


 筆者はイスラエルのエジプト脱出の時期について前期説が適切だと考えている。前期説は出エジプト記1,2章の出来事を理解する上で、説得力のある時代背景を提供する。
 エジプト第18王朝の第3代王トトメス1世から第7代アメンホテプ2世にいたる系図を上に掲げてみた。近親結婚でこんがらがっていて、とても難しかった。
 結論から言えば、イスラエルを弾圧した1章の王はトトメス3世であり、2章に登場するモーセを救い出した「パロの娘」はハトシェプストであり、モーセが十の災害をもって苦しめたパロはアメンホテプ2世である。
 ハトシェプストはトトメス1世の正妃から生まれた血統正しい娘だったが、男子でなかったので王になれなかった。トトメス2世はトトメス1世の側室の子として生まれたが、ハトシェプストと結婚することによって王位を継承した。
 ところが、ハトシェプストとトトメス2世の間には王位継承者となるべき子が生まれず、トトメス2世は側室から男児を得た。その母は早く死んだらしく、ハトシェプストがこの男児の継母となった。
 トトメス2世もまた早く死んだが、トトメス3世に王位を継承させるように遺言した。しかし、このときトトメス3世はまだ6歳だったので、ハトシェプストは王となるのは男子であるというしきたりを破って共同統治者としての王となり、実権を握った。ハトシェプストは平和外交を行なった。
 トトメス3世は政権の中枢から遠ざけられて、軍事畑を歩んだが、彼はその心には継母ハトシェプスト女王に対する恨みと憎しみを募らせていった。その証拠に、トトメス3世はハトシェプストの死後、彼女が葬られたルクソール葬祭宮の彼女の銘文とレリーフを削り取っている。また第18王朝の王たちのミイラはみなあるべき場所に安置されていたが、彼女のミイラのみは行方不明となっていた。ところが、実に1990年になって王家の谷の小さな墓にあった一つのミイラのDNA鑑定をしたところ、なんとそれがハトシェプストのミイラであることが判明したのである。
 トトメス3世は、「古代エジプトのナポレオン」と呼ばれるように、在位中に17回もの対外遠征を行い、北はユーフラテス川上流域、南はエチオピアまでエジプトの支配下に収めた。おそらくハトシェプストへの対抗心ゆえであろう。
 こうした背景を見ると、出エジプト記1章のヒトラーのような弾圧者はトトメス3世であり、2章の「パロの娘」はハトシェプストをさしていると見ることが適切であると思われる。トトメス3世は長じて、継母ハトシェプストを政権の中枢から追放して自分が実権を握るようになり、イスラエルを弾圧したのだろう。ハトシェプストは実質的に隠居させられたような立場で、トトメス3世の強圧的な政治に心を痛めていたのであろう。ハトシェプストの立場であったからこそ、イスラエル人の赤ん坊を保護することができたと考えられる。なお「パロの娘」というのは、血統証付のお姫様という意味であると解される。