苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

暴君に抵抗した女たち

        出エジプト1:1−21


トトメス3世


 一昨日、東京都三鷹市の中近東文化センターに15名の方たちと遠足に行ってきました。玄関をはいるとすぐにハンムラビ法典の刻まれた身長より高い大きな黒い石がありました。もちろんレプリカですが、これはアブラハムと同時期のものです。それから、展示の最初のところにエジプトのパロ(王)トトメス3世の肖像画がありました。このトトメス3世こそ、今しがたお読みた出エジプト記一章に登場する、イスラエルの民を弾圧した王であるようです。
 さて、紀元前二千年頃アブラハムに与えられた契約は、息子イサクに、ついで孫のヤコブに受け継がれていきました。ヤコブには十二人の息子たちがいて、下から二番目にヨセフです。ヨセフは兄たちの妬みを受けて奴隷として隊商に売り飛ばされ、エジプトに連れて行かれます。ところが不思議な導きでヨセフはエジプトの宰相となり、飢饉で苦しむカナンの地から父ヤコブとその一族をエジプトへと招くのです。こうしてイスラエルはエジプトの地に400年間過ごすことになりました。


1. 歴史的背景

(1)ヒクソス朝時代
 イスラエルの民のエジプト脱出という歴史的大事件の背景がこの最初の部分で語られます。ヨセフが宰相を務めた時代にゴシェンの地に移住してきたイスラエルの子孫は多産だったので、急速にふえて、紀元前1500年頃には男だけで60万人、みんなで200万ないし300万人にもなっていました。「1:7 イスラエル人は多産だったので、おびただしくふえ、すこぶる強くなり、その地は彼らで満ちた。」
 イスラエルの民は移住した当初は、エジプトの宰相のゆかりの一族として平穏無事な生活をすることができました。そもそも、ヨセフが奴隷としてエジプトに売られたのに、急に王に用いられて出世したりしたのには、それなりの背景があります。年表を見てください。中王国時代の終わりころ(前18世紀)のエジプトの貴族の荘園の奴隷のリストが古文書として発見されているのですが、そこには多くのセム人たちの名前が見出されます 。ここ南佐久郡でも夏場、ここ十数年、多くの中国人やフィリピン人たちが畑の収穫の仕事に来るようになりました。日本は季節限定ですが、ヨーロッパにはトルコ系移民がたくさん住んでいて、多産なので数の上でヨーロッパ系住民を間もなく越えようとしています。古代エジプトでも、セム人たちが先進国であるエジプトに外国人労働者としてたくさん住むようになっていたわけです。
 やがて、紀元前18世紀になると、シリア、パレスチナの戦車をもちいるおもにセム系の人々がハム人の中王国を滅ぼして建てたのがヒクソス王朝でした。ヒクソスとは「外国人の王たち」という意味です。外国人であるヨセフがエジプトに奴隷として売られてきたのは、このヒクソス朝時代でした。こうした背景があったからこそ、セム人であるヨセフもパロに重んじられたのだろうと考えられています 。このエジプト人からいえば異邦人によるヒクソス朝は紀元前16世紀半ばまで続きます。


(2)「ヨセフのことを知らない王」
 ところが、8節を見ると「さて、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプトに起こった」とあります。これはエジプトの「新王国」時代が到来したことを意味しています。16世紀半ば、エジプト人(ハム系)のイアフメノスはセム人のヒクソス王朝を攻め滅ぼして、エジプトを再統一しました。新王国は異邦人による征服王朝のあとですから、その反動としてエジプト人たちの民族主義的な傾向の強い王朝となり、国内に住む外国人たちを厳しく扱うようになりました。
 しかもイスラエルの民はヒクソス王朝時代の宰相ヨセフゆかりの民なのです。いつ反旗を翻すか知れたものではありません。そこで、王はイスラエルの民の力をそごうとして、苦役につかせることにしました。10−14節。

1:9 彼は民に言った。「見よ。イスラエルの民は、われわれよりも多く、また強い。
1:10 さあ、彼らを賢く取り扱おう。彼らが多くなり、いざ戦いというときに、敵側についてわれわれと戦い、この地から出て行くといけないから。」
1:11 そこで、彼らを苦役で苦しめるために、彼らの上に労務の係長を置き、パロのために倉庫の町ピトムとラメセスを建てた。
1:12 しかし苦しめれば苦しめるほど、この民はますますふえ広がったので、人々はイスラエル人を恐れた。 1:13 それでエジプトはイスラエル人に過酷な労働を課し、1:14 粘土やれんがの激しい労働や、畑のあらゆる労働など、すべて、彼らに課する過酷な労働で、彼らの生活を苦しめた。


 ところで、この1−2章に登場するイスラエルを激しく迫害した暴君は誰だったのでしょうか。二つの説があります。第一は、トトメス三世 (前1479−1425)とする説で、第二は、1章はラメセス2世(前1314−1224)とする説です。前者は出エジプトの事件は15世紀半ばと考えるので前期説に基づき、後者は出エジプト事件は13世紀だったとする後期説に基づいています。前期説と後期説には、それぞれに古文書における証拠がありますが 、私は前者の方がより妥当だと思います ので、こちらの立場で聖書を理解してお話をします 。
 トトメス3世という王は、「古代エジプトのナポレオン」と称される征服王ですが、私は彼のイスラエル弾圧を見ると、むしろ「古代エジプトヒトラー」と呼ぶべきだと思います。彼の時代にはエジプトの歴史上最大の帝国を築きました。なにしろ北はユウフラテス川上流域、南はエチオピアに及んだのです。彼がこのような征服王となった背景には、若い日からの継母に対する劣等感と恨みがあったように思われます。
 トトメス3世は前王の息子ではあったものの、正妃(北の政所)の子ではなく身分の低い側室の子として生まれました。そして、母は死んで父の正妃ハトシェプストが継母となります。そして父王トトメス2世も早く死んでしまいます。父王はトトメス3世を後継者として指名してはいたものの、まだ子どもだったので継母のハトシェプストが王として実権を持って国を統治することになりました。そういうわけで、トトメス3世は前半生長い間、実権を持つことができず、ハトシェプストを恨んでいたようです。その証拠に、ハトシェプスト死後は、ルクソールに造られた彼女の葬祭殿から銘文や肖像を軒並み削り取って、その業績を抹消しようとまでしたほどです。ハトシェプストは平和外交で穏健な政策をとりエジプトは安定して繁栄しました。ハトシェプストからトトメス3世に、ようやく実権が移ると、彼はハトシェプストとは正反対の軍国主義的政策を取って侵略戦争を繰り返して版図を広げていきます。国内的には、ヘブル人たちを厳しい労役につかせて弾圧政策を取りました。
 ところが、こういう苦難はかえって人口増加をもたらしました。生き物は、種族の危機といった状況になると人口は増えるものです。たとえば、秋にコメの収穫前になると田んぼの水を落として田んぼがひび割れるまで乾かしますが、あれは稲の根を切ることで稲を危機的状況に置くためなのだそうです。すると、稲は子孫を残さねばならないということで必死になってたくさんのお米をつけるのだそうです。ヘブル人たちは苦しめられて、もともと多産なのにますます多産になったのでした。
 思惑がはずれたパロは怒り狂って、今度は生まれてくる男の子を皆殺しにせよとヘブル人の助産婦たちに命じました。ジェノサイドです。この種の民族主義に狂った権力者の暴政は、歴史上くりかえされてきました。ヒトラーユダヤ人虐殺(120万〜400万人)、イラクフセインクルド人虐殺(5000人)、現代中国のウイグル人迫害もそうです。民族主義というのは恐ろしいですね。昔の話、他国の話ではすませられません。私たちの国でも、東京の新大久保で聞くに堪えないヘイトスピーチがなされていますが、こうした言動は、決して許してはならない悪魔的な所業です。


2. 神を恐れた助産婦たち

 こうした状況下で、暴君に抵抗することができたのは、誰だったでしょうか。反対などすれば、即座に胴体から首が切り離されてしまうような時代に、だれが王命に抵抗できたでしょうか。意外なことに腕力のある男たちではなく、女性たちでした。

  1:15 また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに言った。そのひとりの名はシフラ、もうひとりの名はプアであった。
1:16 彼は言った。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら、生かしておくのだ。」
1:17 しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。
1:18 そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼び寄せて言った。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」
1:19 助産婦たちはパロに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」
1:20 神はこの助産婦たちによくしてくださった。それで、イスラエルの民はふえ、非常に強くなった。
1:21 助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。

 神様は、あの迫害の時代に、屈強な男たちではなく神を恐れる産婆さんたちをお用いになりました。
 女性は男性にくらべてやはりいのちを大切にするという賜物を神様から賜っているからではないでしょうか。広島の原爆投下の現場で作られたという「生ましめんかな」という詩を読んだことがあります。紹介します。

生ましめんかな

こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。

マッチ1本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。

生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも

結び
 今日の箇所は、まったく男の出番がありません。出てくるのは、劣等感と残忍さに満ちた古代エジプトヒトラー、トトメス3世だけです。子どものいのちなど鳥の羽よりも軽いと思っている愚かで残酷きわまりない権力者だけです。新約聖書で見るヘロデ大王のことを彷彿とさせられます。
 そして、その権力に抗って、子たちのいのちを守ったのは、なんと女性たち、ヘブル人の産婆さんたちでした。その名前がシフラとプアであったと特筆されています。神のもとにある永遠のいのちの書に記されている名前なのでしょう。彼女たちの勇気によって、どれほどたくさんの男の子たちの命が救われたでしょうか。そして、その男の子たちからまた子孫が続いていったのです。命の鎖はつないで行けば、やがて大きな川となって後世に流れていくものです。しかし、いのちの鎖は、いったんそれを断ってしまえば、そこでおしまいです。子どもたちのいのちを守ること、育てることは、歴史的な仕事なのです。
 最初の女の名はエバといいました。その意味は「すべていのちあるものの母」という意味であると聖書は教えています。残念ながら男たちは仕事をしたり業績を上げたりして、社会的な名声を博したりといった、目先のことに夢中になる性質をもっているように思われますが、女に神様が賜った特別の贈り物は、自分のいのちを賭けて、新しい命をたいせつにすること、そのいのちをいつくしみ育てるという情愛、使命感なのです。神様が女性にお与えになった賜物と使命を大事にする社会を築いていくということが、とても大切なことです。
 今は国の経済振興のために、家庭を軽んじ子育てを軽んじる風潮があります。そういう時代風潮の中でも、地の塩として世の光として、私たちは、神様がくださったいのちをたいせつにするということを忘れずに、生きてまいりましょう。女性が「すべていのちあるものの母」としての賜物と使命を発揮できる社会をつくっていくことが大事です。