苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

幻の東京五輪

 政治問題がらみで開催に問題が生じたケースで、筆者の記憶に鮮やかなのは、1980年のモスクワ五輪である。折からのソ連のアフガン侵攻に対する抗議として、アメリカが参加拒否を訴え、日本、西ドイツ、韓国、中華人民共和国、イラン、パキスタンなど50カ国近くが参加を拒否した。
 私がとくに気の毒に思ったのは、当時、世界中のマラソン大会で圧倒的な勝負強さを見せて金メダル確実だったマラソン瀬古利彦選手だった。
 顔に泥を塗られたソ連は、米国のグレナダ侵攻に抗議して、4年後、東欧諸国とともにロサンゼルズ五輪をボイコットしたのだった。東欧の選手のなかにも涙をのんだ選手がたくさんいたはずである。瀬古選手はすでにランナーとしてのピークを過ぎていた。
 日本でも過去にオリンピックが幻に終わったことがある。1940年、東京でオリンピックが開催されることが決定し、政府はこれを皇紀二千六百年記念行事として行い国威発揚の機会に利用しようと考えていた。しかし、日本はすでに1931年には満州事変を引き起こし、翌32年には国際連盟を脱退し、1937年からは日中戦争をはじめて世界で孤立を深めており、開催中止となった。東京オリンピックは有色人種の国における最初の開催ということだったのだが。
 このように、オリンピック開催は為政者の振る舞いに左右される。昨年末の首相の靖国神社参拝強行で中国・韓国・北朝鮮はもちろんのこと、米国・EU・ロシア・ドイツからも非難の声が上がっている。その意味は、「日本は、先の戦争が侵略戦争であることを否定して、大戦後の世界秩序を否定するのか?」ということである。「そうだ、否定するのだ」という意見は勇ましげではあるが、その秩序の中で日本国憲法を土台に、日本が復興と繁栄と平和を享受してきた事実をかんがみれば、あまりにも軽率・軽薄な反応だろう。
 今後、事態はどのように推移するのだろうか。そして、第二回東京五輪実現はどうなるのだろうか。


☆安倍首相の靖国神社参拝・いち早くユーロニュースやラジオで報道↓
http://swissnews.exblog.jp/20151700