苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

孤立

 靖国神社を首相が参拝したことについて、世界中から非難轟轟であるにもかかわらず、日本人の8割弱は首相の行動を妥当であると考えているというアンケート結果がyahooのネット上に掲載されている。yahoo Japanの利用者は日本人とはかぎらないから、実際にはもっと多くのネット上の日本人が、首相の靖国参拝を支持しているのかもしれない。もっとも、ネット上の世論は右寄りであるという傾向があることは考慮しなければならないし、さらに何か団体が集団的に投票して操作している可能性もあるけれども。
http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/domestic/10611/result

 その理由を考えてみた。
 第一は、昨日書いたように、日本人の多くが首相の靖国参拝は米国大統領のアーリントン墓地と同様に戦没者の追悼であると誤解しているからであろう。本来靖国神社戦没者追悼施設ではなく、国民の戦意高揚のために軍が管理した施設である。
 この事実は、靖国神社を訪問すれば一目瞭然である。遊就館の展示を見、また映像を見れば、靖国神社は先の戦争が正義の戦争であったということを教えることが意図されていることは明白である。

 第二の理由は、もっと深刻で日本人の特異な宗教性に根ざしているのではないかと思う。「イワシの頭も信心から」というのが日本人の宗教性である。つまり、信心は拝む対象が何であるかではなく、拝む心が大事なんだという主観的な宗教性である。この宗教性からいえば、「本来、靖国神社が追悼施設でなく、国民の戦意高揚のための軍の施設であったとしても、そこに戦没者が祀られ、首相も遺族も『戦没者を追悼する気持ち』で参拝するのだから、何が悪いのか。」ということになるだろう。
 実際、安倍首相は今回の参拝にあたって談話を発表している。そこでは「日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し、尊崇の念を表し、み霊安らかなれと手を合わせた。」「不戦の誓いをした。」「二度と戦争の惨禍の中で人々が苦しむことが無い時代を創っていくとの決意をお伝えするために参拝した」と言っている。
 しかし、信じる気持ち以前に、信じる対象がなんであるかのほうがはるかに大事であるということが常識である世界の人々には、決して理解されないであろう。<戦意高揚のための施設で、不戦の誓いをしたのだ>というのは、たとえば「ボクは学校休んで遊園地に行きましたが。遊んでません。心の中で数学の公式を繰り返し唱えて勉強をしていました。」というふうな強弁と同類としか聞こえない。


 現在、日本は危険な孤立に陥りつつある。まるでかつて松岡外務大臣が「満州から手を引け」という国際連盟の要求を蹴って帰国したら、国民あげて英雄扱いしたという集団ヒステリー状況と似ている。この件に関しては、日本人の多くが、「世界中が悪いんだ、日本だけが正しいのだ」という病的な精神状態に陥っている。頭を冷やさなければ、レミングが奈落に向かって大暴走するようなことにもなりかねない。
 マスメディアはていねいに、なぜ靖国神社参拝が外国から客観的に見れば、非難の対象となるのかということを国民に伝える責任があると思う。