苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

詩篇について

 今、詩篇を読んでいます。霊・魂・体の叫びの歌と呼ばれるだけにさまざまな詩がありますが、多くの詩が敵に囲まれている試練の中から詩人が神に向かってあげた叫びであることに改めて気づかされました。実際、ダビデの生涯は実に試練に次ぐ試練でしたから。
 詩篇6篇は、私にとっては特に印象深いものです。というのは、私がかつてお世話になった神戸の改革長老教会で編んだ『詩篇抄集』ではシューマンの曲をつけて取り上げられていて、神学生のときによく歌ったからです。


主よ み怒りもて われをば責めざれ
激しく怒りて 懲らしめたもうな
主よ あわれみもて われをば見たまえ
われいたく弱り衰え果てたり


主よ 急ぎわれをいやしたまえかし
そは われの骨はうち震えばなり
わが魂さえ いたくうち震う
主よ かかる時の いつまでつづくや


主よ 今帰りてわれを救いませ
いつくしみゆえに 助け出したまえ
そは 死にありては なれをば覚えず
黄泉にては なれをたれかほめえんや


われ嘆きにより いたく疲れたり
われはよもすがら 床を漂わせ
わが泪をもて 褥を濡らせり
わが目は憂えに 弱りおとろえぬ


悪をなす者よ われより離れよ
主はわが叫びに 答えたまいたり
主はわが祈りを 受けたもうゆえに
わが仇らはみな 恥をば受くべし

 父は私が東京基督神学校に入学してまもない4月10日に食道がん切除の手術をし、10月10日に天に召されました。私は今55歳ですが、当時まだ父が53歳だったことを思うと、思い残すことは多くあっただろうと思います。神学生だった私は、神戸の病院で闘病している父のことを思いながら、詩篇6篇を口ずさんだのでした。


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