苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ネヘミヤ記最終章

13:30このように、わたしは彼らを清めて、異邦のものをことごとく捨てさせ、祭司およびレビびとの務を定めて、おのおのそのわざにつかせた。 13:31また定められた時に、たきぎの供え物をささげさせ、また初物をささげさせた。わが神よ、わたしを覚え、わたしをお恵みください。
                (ネヘミヤ記13:30,31)


 ネヘミヤ記の最後の章には、敵の妨害に抵抗しつつ苦心惨憺してエルサレムの城壁と神殿を回復し、律法に基づく神の民の礼拝を回復したにもかかわらず、早くも民のご都合主義によってそれが壊れて行こうとしている兆候と、これに対するネヘミヤの対応がでてくる。
 第一は、民が十分の一のささげものを怠ったせいで、それをもって生活を立てているレビ人たちが神殿の務めから逃げ出したこと。第二は安息日をけがす人々とその取り締まり。第三に異教国の女たちとの結婚。
 ネヘミヤは律法に基づいて、これらの事態に対して苛烈なばかりの対応する。最後の祈りにはネヘミヤの主に対する忠誠と、不従順な民に関する慨嘆があらわれている。
 主のみことばに対するネヘミヤの熱心を見るとともに、石に書かれた律法という旧約的礼拝生活の限界を見、民の心に御霊を注ぎたまうキリストを待望せよという暗示を見せられる思いがする。