苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

説教者の役割・・・言語と文化の変化のゆえに

 8:1その時民は皆ひとりのようになって水の門の前の広場に集まり、主がイスラエルに与えられたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに求めた。 8:2祭司エズラは七月の一日に律法を携えて来て、男女の会衆およびすべて聞いて悟ることのできる人々の前にあらわれ、 8:3水の門の前にある広場で、あけぼのから正午まで、男女および悟ることのできる人々の前でこれを読んだ。民はみな律法の書に耳を傾けた。 8:4学者エズラはこの事のために、かねて設けた木の台の上に立ったが、彼のかたわらには右の方にマッタテヤ、シマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤおよびマアセヤが立ち、左の方にはペダヤ、ミサエル、マルキヤ、ハシュム、ハシバダナ、ゼカリヤおよびメシュラムが立った。 8:5エズラはすべての民の前にその書を開いた。彼はすべての民よりも高い所にいたからである。彼が書を開くと、すべての民は起立した。 8:6エズラは大いなる神、主をほめ、民は皆その手をあげて、「アァメン、アァメン」と言って答え、こうべをたれ、地にひれ伏して主を拝した。 8:7エシュア、バニ、セレビヤ、ヤミン、アックブ、シャベタイ、ホデヤ、マアセヤ、ケリタ、アザリヤ、ヨザバデ、ハナン、ペラヤおよびレビびとたちは民に律法を悟らせた。民はその所に立っていた。彼らはその書、すなわち神の律法をめいりょうに読み、その意味を解き明かしてその読むところを悟らせた。
                ネヘミヤ記8章1−8節

 破壊されていた城壁の再建工事が完成し、民が水の門に集まったところで、祭司であり学者であったエズラがすべての民の前で律法の書をひらいた。
 朗読される律法のことばは、バビロン捕囚で異邦に強制移住させられた二世の人々にとってネヘミヤの時代の人々にとっては、すでに「先祖が使っていた古語」になっていたのであろう。一般の人々はただ聞いただけでは理解できなかったので、「エシュア、バニ・・・およびレビ人たち」が、神の律法を読んで、民にその意味を解き明かした。
 ことばというものは相当のスピードで変化していくものらしい。江戸時代の文章を読んでみても現代人に正確にわかるわけではないし、今の若者にとっては明治の文豪の書いた作品を理解することも容易ではないそうである。
 説教者の務めとは、言語と時代と文化の異なるところで啓示された聖書をの意味を解き明かすことにあると、むかし誰かに教わった。それですべてだとは思わないけれども、説教の大事な一面である。


はてなダイアリー不具合>
 最近、カテゴリーがうまくつけられなくなってしまった。