苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

大島被災

 台風26号による大島被災のニュースに心痛めている。今朝、日本基督教団大島本村教会のひとりの姉妹が召されたという報せが、知り合いからはいった。
 大島元村教会は日本同盟基督教団とゆかりある教会である。明治24年に来日したスカンヂナビア同盟宣教団の宣教師たちは、当初から未伝地の伝道を志していて、入ったのが飛騨高山、房総半島、北海道アイヌ、そして伊豆と伊豆七島だった。やがて日本同盟基督協会(戦前、この文字でした)が設立され、さらに対米英戦争に向けて国家総動員の動きの中で日本基督教団が編成されて、同盟協会は第八部所属となった。戦後、宣教師再来日とともに、旧同盟基督協会の数教会は日本基督教団から離脱して、日本同盟基督教団を編成したが、日本基督教団にそのままとどまった教会もあった。大島元村教会はそういう教会の一つである。
 二十年前に信州の山間部の町で借家をして伝道を始めた筆者は、大島のような場所で積極的に伝道牧会をされている相沢良一牧師という方がいらっしゃるということを知り、そのスピリットに触れたいと思ってお手紙を差し上げたところ、毎月「黒潮」という伝道新聞を送ってくださるようになった。そこで、筆者からも「通信小海」をお送りするようになって、数年間そういう交流が続き、時にはご著書もいただいた。大島の人で相沢牧師の「黒潮」を知らぬ人はないということであるというので、筆者も南佐久郡で小海キリスト教会の「通信小海」を知らぬ人はないというふうになりたいものだと励まされ、書き続けて今月号で241号となった。先生は52年間大島元村教会に仕えてのち、2009年に天に召された。筆者はついぞ先生にはお目にかからぬままである。
 主にあるたいせつな姉妹を失って教会の兄弟姉妹は、今、どのような思いでいらっしゃるだろう。・・・とはいえ、今ごろ、姉妹は天の主の御前で相沢先生と再会を果たしていらっしゃることだろう。

そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。 しかし、肉体において生きていることが、わたしにとっては実り多い働きになるのだとすれば、どちらを選んだらよいか、わたしにはわからない。わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい。(ピリピ書1:20−23)