苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

イエス様の復活のからだこそまことの神殿であること

2:19 イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」
2:20 そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」
2:21 しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。 2:22 それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばとを信じた。
        ヨハネ福音書2章19−21節

 このことばは19歳から私にとってずっと謎だったのだが、ネメシェギ『イエスを仰ぐ』を読んでいて、ほぐれてきたのでメモしておきたい。

 神殿は神と人間の出会いの場であります。人間の手でつくられたエルサレムの神殿も、ある程度までそうでした。しかし、石や木で造られた建物は、決して、神と人間の間の直接な出会いの場になることはできません。(中略)神と人間の間の真の出会いの場は、ある建物ではなく、ダビデの子孫である一人の人間なのです。この人間においてこそ、天と地、神と人類は一つになることができます。この人間はイエスのほかにありません。死に、三日目に復活したイエスは、真の神殿として、神を求めていたイスラエルの希望を満たし、人間を神と出会わせております。イエスの体は神と人間の出会いの場であって、イエスがその死と復活を通して御父へもどることによって人類を神と直結させるのです。(pp97,98)

 なるほどです。ああ、うれしい。36年来の謎が解けました。