苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

象徴天皇の伝統

8月16日放送のフジテレビ「金曜プレステージ 池上彰緊急スペシャ日本国憲法を考えよう」より

2009年4月8日ご結婚50年に際しての天皇陛下の会見

 日本国憲法にある天皇は日本国の象徴であり、日本国民の統合の象徴であるという規定に心をいたしつつ、国民の期待に応えるよう願ってまいりました。
象徴とはどうあるべきかということは、いつも私の念頭を離れず、その望ましいあり方を求めて今日に至っています。
 なお、大日本帝国憲法下の天皇のあり方と、日本国憲法下の天皇のあり方を比べれば、日本国憲法下の天皇のあり方のほうが天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇のあり方に沿うものと思います。

 天皇の政治的・軍事的実権は、平安時代には藤原氏をはじめとする貴族階級に移り、さらに鎌倉時代には幕府に決定的に移ってしまった、以後、江戸時代の終わりまで天皇は象徴天皇であった。つまり、象徴天皇の伝統は七百年ないし千年ほどもある。実権のない天皇だったから延々と続いたともいえる。
 明治維新後の政治大権・軍事大権および国家神道の祭祀大権を保持する「大元帥・現人神天皇」というありかたは、伝統から逸脱した異形の人工物だった。それは、伊藤博文がヨーロッパのいわゆる「キリスト教国」の17,18世紀の君主制を、キリスト抜きで、あるいは、キリストと天皇を置き換えて捏造したものだったから、それはわずか七十年程度で瓦解したのは必然だった。
 自民党はE.バークの保守思想に学ぶとかいって、明治憲法的なものへの回帰を宣伝しているが、あれはあきらかな誤読である。バーク自身ならば「明治の大元帥現人神天皇は伝統ではない」と否定するにちがいない。

*こちら、参照。
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20121231/p1


  E.バーク『フランス革命省察