苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

いつか来た道

   主は国々の間をさばき、
  多くの国々の民に、判決を下す。
  彼らはその剣を鋤に、
  その槍をかまに打ち直し、
  国は国に向かって剣を上げず、
  二度と戦いのことを習わない。
          イザヤ書二章四節


 八月十五日が近づいている。今年はとくに日本の平和主義が危機にさらされている状況なので、よく考えたい。


「武器輸出三原則」の見直し

 いくつかのことが気になっている。ひとつは、参院選挙の翌日、首相が「武器輸出三原則」の撤廃を含む抜本的見直しを打ち出したことである。「武器輸出三原則」は、一九六七年、佐藤栄作首相の国会答弁で最初に定義された。「①共産圏、②国連決議での武器禁輸国、③国際紛争の当事国あるいはその恐れのある国という三原則地域に対する武器輸出を、輸出貿易管理令で承認しない」というものだった。七六年には三木武夫首相が、「①三原則地域への輸出を認めない、②それ以外の地域への輸出も慎む、③武器製造関連設備の輸出も武器に準じて扱う」と表明して、三原則の内容が強化された。
 さらに八一年に「武器輸出問題等に関する決議」が衆参本会議で決議された。「わが国は、日本国憲法の理念である平和国家としての立場をふまえ、(中略)よつて政府は、武器輸出について、厳正かつ慎重な態度をもつて対処すると共に制度上の改善を含め実効ある措置を講ずべきである。」国会は武器輸出三原則を破ることは違憲だと決議したのである。
 わが国は先の戦争の反省に立ち、平和国家としての誇りにかけて武器輸出を自制してきた。武器輸出でもうけている他の先進諸国にまさる、産業立国してきた。ところが、今や、その反省も誇りを捨て、情けないことに、カネのためなら人命を顧みない恥ずべき「死の商人の国」に転落しようとしている。


「国家安全保障基本法

 もうひとつ気になるのは、秋の国会に提出されようとしている「国家安全保障基本法」である。この基本法は、集団的自衛権の行使を可能とし、報道の自由表現の自由を制限してしまうものである。
 集団的自衛権行使とは、日本の個別の自衛とは別に、米国が世界中で繰り広げている戦争の手伝いに、日本の自衛隊員をさしだすことを意味している。かつてベトナム戦争に韓国軍が協力させられて、五千人の戦死者を出した。わが国は日本国憲法第九条が歯止めになっていたことは周知のとおりである。


「秘密保全法」


 「国家安全保障基本法」は「秘密保全法」を含んでいる。安全保障にかんする秘密を保全し重大な漏洩をした者は厳罰に処するという。法律家は「国の安全保障にかんする秘密」というのが曖昧で、国が自分の都合で「これは秘密」とかってに決めてしまう危険性があると指摘し、これでは「平成の治安維持法」だと批判している。
 原発事故のとき、ほとんどのテレビ局も大新聞も大学教授も、政官財界の発表機関になってしまった。いや、原発についてはマスコミはずっと前から国民をだましてきたのである。秘密保全法が成立したら、なおのことであろう。報道機関とは、本来、国民の目・耳・口として、国が暴走しないように監視する役割をになうのであるが、原発核兵器の情報は国家の安全保障にかかわるということで、報道機関は報道を自粛して国民は事実を知ることができなくなり、さらにひどくなれば、報道機関は国民を欺き惑わすものとなってしまう。
 今、現政権は、「いつか来た道」に歩みだそうとしている。私たちは、このとき、もう一度、平和の尊さをかみ締めて、何ができるかを考えたい。

(通信小海2013年8月 第139号第一、第二面)