苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

キリスト者の選挙の考え方について

 今日は洗礼を受けたいという方との話のなかで、キリスト者は選挙において、どういう選択をすべきなのかを話題にしました。こういう考え方が絶対だとは思いませんが、私としてはこのように考えるのがよいのではないかと思います。


1.国家主義は国家の偶像化になるし、人権主義(個人主義)は人権の偶像化になるから、キリスト者としてどちらも無条件に支持できるわけではない。だが、全面支持ができないから棄権するのではなく、みこころが天でなるように地にもなるために、時代の状況に応じて政治バランスをとるように選挙をするのがよいのではないか。


2.では聖書でいう国家の務めと、それを踏み越えた国家主義のちがいはなにか。
 聖書でいう国家の基本的な務めは、警察権による社会秩序の維持と、徴税による富の再分配をもって民の福利をはかること、つまり世俗的業務である。(ローマ13章)そのような意味で国家の権威を尊重すべきである。
 聖書が警告する国家主義とは、悪魔の誘惑を受け、国家指導者の神格化をして国民統合をはかることであり。ローマ皇帝も、戦前の天皇制国家も、スターリン毛沢東ポルポトもこの罪を犯した。(黙示録13章)


3.では聖書で言う人権とはなんであり、行きすぎた人権主義とはなにか。
 人権の聖書的根拠は人が「神のかたち」として造られた存在として、自由をもっていることである。その自由は、きよい神のみこころの枠内で許された自由である。(創世記1:26,27)
 他方、人権主義における自由とは、神の定めた枠を越えて人間自らが神のようになり、自分で善悪すべてが決められると思い上がることである。(創世記2,3章)


追記 7月24日>
 実際の投票となると、頭で政治バランスと思っていても、1パーセントしか当選する可能性がなくても、自分の願うところにもっとも近い候補者(党)に一票を投じたいと思ってしまうのが人情です。また、いくら政治バランスと言ったって自分と根本的に考えがちがう人(党)には入れたくないのも事実。むずかしいです。