苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

解放者イエス


      タマネギ



8:28 それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり墓から出て来て、イエスに出会った。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通れないほどであった。 8:29 すると、見よ、彼らはわめいて言った。「神の子よ。いったい私たちに何をしようというのです。まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来られたのですか。」
  8:30 ところで、そこからずっと離れた所に、たくさんの豚の群れが飼ってあった。 8:31 それで、悪霊どもはイエスに願ってこう言った。「もし私たちを追い出そうとされるのでしたら、どうか豚の群れの中にやってください。」
8:32 イエスは彼らに「行け」と言われた。すると、彼らは出て行って豚に入った。すると、見よ、その群れ全体がどっとがけから湖へ駆け降りて行って、水におぼれて死んだ。
  8:33 飼っていた者たちは逃げ出して町に行き、悪霊につかれた人たちのことなどを残らず知らせた。 8:34 すると、見よ、町中の者がイエスに会いに出て来た。そして、イエスに会うと、どうかこの地方を立ち去ってくださいと願った。
             マタイ福音書8章28-34節


 舟に乗って渡った向こう岸は異教の地、悪霊の働きのはなはだしい地だった。ここには悪霊にとりつかれ墓場に住む二人の人が、霊的な暗黒の中に絶望的な暮らしをしていた。人は、オカルト(霊媒・占い・偶像崇拝)に深入りすることによって悪霊つきになってしまうことがあるという。要注意。
 しかし、主イエスはこの暗闇のなかに住む二人のために来てくださった。主はなんとあわれみ深いお方だろうか。悪霊どもをからだから追い出されたくないならば、洞穴にでも隠れていればよいのに、彼らはわざわざ主イエスの所にやってきたのはなぜだろう? 彼らの行動は、キリストに反感を抱きながら、キリストのことが気になってしかたがなくて、無視することができず攻撃的になる人の心理に似通っている。
 主イエスは彼らのからだに住み着いたおびただしい数の悪霊どもを追い出してくださり、悪霊どもは近くにいた豚の群れにはいり、豚どもは狂気に取り憑かれて湖に飛び込んでみな溺れ死んでしまう。悪霊を追い出してもらった二人は、正気に返って、今や主イエスの輝かしい笑顔とともにいる。
 ところが、ガダラの人々はイエスに出て行ってくれと言う。彼らは失った財産(豚)を惜しんで、人々が救われるためには、さらに大きな犠牲を支払わねばならないと恐れた。彼らは悪霊でなく、マモン(富)、生活の心配に取り憑かれていた。実はこちらのほうがたちが悪く、ほとんどの「自分はまともだ」と思っている人もとりつかれている。
 しかし、主イエスは私たちの解放者である。