苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

騎兵?


    ラメセス2世(アブシンベルの壁画)

ソロモンはまた戦車の馬の、うまや四千と、騎兵一万二千を持っていた。(列王上4:26 口語訳)・・数字が違う
ソロモンは戦車用の馬のための馬屋四万、騎兵一万二千を持っていた。(1列王4:26 新改訳)
ソロモンは戦車用の馬の厩舎四万と騎兵一万二千を持っていた。(列王上5:6 新共同訳)・・章節がちがう
     (数字が違うこと、章節がちがうことにはここではふれない)


 ソロモンは騎兵parashim(複数形)を1万2千も保有していたとある。イスラエルが騎兵を用いたという記事はこれ以前にはない。記事としてないから、事実としてなかったと断言することは適切ではないけれど、基本的に騎兵戦法というのは歴史的に古代においては遊牧民特有であって、農耕民は馬にひかせる戦車を用いたと、司馬遼太郎のなにかで読んだので、少し意外な感じがする。鐙(あぶみ)というものがまだない時代には、裸馬の背に乗り、しかも、騎乗したまま弓を射たり、槍を振るったりすることは、きわめて高度な技術を要することで、幼い頃から馬と一緒に生活をしている遊牧民にしか出来ないことなのだそうである。だがソロモンの時代(紀元前10世紀)にはイスラエルもすでに騎兵を用いるようになっていたということなのか。
 列王記より前を調べてみると、1サムエル13:5に「ペリシテびとはイスラエルと戦うために集まった。戦車三千、騎兵六千、民は浜べの砂のように多かった。」とある。海洋民族といわれるペリシテ人が六千もの騎兵を用いていたというのも意外である。
 さらにさかのぼって見ると、意外なことに、出エジプト記14章17節には「戦車と騎兵」というセットになった表現が何度も出てくる。騎兵と訳されたことばはやはりヘブル語でparashimである。これほど昔のエジプトで騎兵が用いられることがあったのだろうか?古代エジプトの壁画をたくさん見たことはないけれども、人が馬に牽かせた戦車に乗る姿の記憶はあるが、騎乗する人を見た記憶はない。
 出エジプト14章17節の英語の翻訳聖書を調べてみると、parashimは多くの英訳聖書ではhorsemenと訳されているが、2007年のNew Living Translationだけはcharioteersと訳している。NLTは1サムエル13:5でもparashimをcharioteersと訳している。1列王記4:26では「馬12000頭(12,000 horses)」と訳している。horsemanは馬人だから騎兵とも御者とも訳せる。charioteerは御者、戦車の乗り手。騎兵については英語ではcavalrymanという単語がある。だから、horsemanはまちがっていない。問題は、日本語の「騎兵」である。

 私は素人だから断言できないけれど、出エジプト14章で海に沈んだとされるのは「戦車と戦車の乗り手」とするのが正しいと思う。1サムエル13:5のペリシテ人が戦車三千、騎兵六千というのは、二人乗りの戦車だったということではないのかなあ、と想像する。ひとりが馬を操作し、ひとりが弓を引く係り。(だが新共同と新改訳では「戦車三万、騎兵六千」とあって数字があわない。)
 もっとも、ダビデが謀殺したウリヤはヘテ人(ヒッタイト)であったとあるから、彼は傭兵で騎乗することはできただろう。ダビデ、ソロモンの時代に彼のような傭兵の騎兵が備えられつつあった可能性はなくもないのだが、12000というのはどうかな。少なくとも、鐙(あぶみ)のなかった時代、農耕文化のエジプトに騎兵がいたというのは無理だろう。これは戦車の乗り手だろう。
 ちなみに、Wikipedia「騎兵」に下のようにある。

 匈奴・スキタイ・キンメリア等の遊牧民(騎馬遊牧民)は、騎兵の育成に優れ、騎馬の機動力を活かした広い行動範囲と強力な攻撃力で、しばしば中国北部やインド北西部、イラン、アナトリア、欧州の農耕地帯を脅かした。遊牧民は騎射の技術に優れており、パルティア・匈奴・スキタイ等の遊牧民の優れた騎乗技術は農耕民に伝わっていったが、遊牧民は通常の生活と同様、集団の騎馬兵として戦ったのに対し、農耕民では車を馬に引かせた戦車を使うことが多かった。
 紀元前10世紀ごろには地中海沿岸で騎乗が始められていたと考えられている。古代ギリシアでは歩兵による密集戦術が主流で、馬は指揮官が使う補助的な役割でしかなかった。鐙(あぶみ)が発明されるまで乗馬は高度な技術を取得することが必要で、幼いころより馬に慣れ親しむ環境にある者しか乗りこなすことは出来なかった為とされる。

 今朝は騎兵のことが気になってしまった。あしたは主の日。お祈りしよう。