苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

母性愛

3:23この時、王は言った、「ひとりは『この生きているのがわたしの子で、死んだのがあなたの子だ』と言い、またひとりは『いいえ、死んだのがあなたの子で、生きているのはわたしの子だ』と言う」。 3:24そこで王は「刀を持ってきなさい」と言ったので、刀を王の前に持ってきた。 3:25王は言った、「生きている子を二つに分けて、半分をこちらに、半分をあちらに与えよ」。 3:26すると生きている子の母である女は、その子のために心がやけるようになって、王に言った、「ああ、わが主よ、生きている子を彼女に与えてください。決してそれを殺さないでください」。     列王記下3章

 有名なソロモンの知恵による「大岡裁き」の箇所である。
 赤ん坊を連れてきたのは二人の遊女。父親が誰であるかもわからないのかもしれないし、かりにわかっていても自分の手で育てて行こうと心に決めていたのだろう。ところが片方の子は事故で死んでしまい、残ったひとりの赤ん坊をめぐって争いとなった。
 親に無視されたかわいそうな子どものニュースを耳にすることが多い、「愛の冷えた」今日、このふたりの教養も身分もない遊女のほとんど本能的な母性愛がかえって尊く思われる。
 なお、「その子のために心がやけるようになって」(口語)よりも、「自分の子を哀れに思って胸が熱くなり」(新改訳)のほうが日本語としてよいと思う。


「また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。」マタイ24:12