苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ダビデの後半生

(前略)12:12あなたはひそかにそれをしたが、わたしは全イスラエルの前と、太陽の前にこの事をするのである』」。12:13ダビデはナタンに言った、「わたしは主に罪をおかしました」。ナタンはダビデに言った、「主もまたあなたの罪を除かれました。あなたは死ぬことはないでしょう。 12:14しかしあなたはこの行いによって大いに主を侮ったので、あなたに生れる子供はかならず死ぬでしょう」。 サムエル記下12:13,14

 ダビデがバテシェバ事件を起こした後、預言者ナタンから譴責を受けたときのダビデの反応とナタンのことばである。
 罪を告白したダビデを主はめぐみをもって赦された。ダビデの犯した罪は、姦淫の罪であり、殺人の罪であり、いずれも律法に照らせば死罪にあたるものだった。謝れば赦されるという種類のことではない。主が彼を赦されたことは、律法をお与えになった主御自身の破格のめぐみという以外理由はない。
 だが、ダビデのいのちは助かったものの、彼の子は死に、彼の後半生は苦悩に満ちたものとなることが告げられた。主に油注がれた王という栄誉をダビデがけがしたからである。神の前に罪が赦されるということと、罪ゆえに応分の懲らしめを与えられるということとは別のことなのである。

  八重のシャクヤク芍薬