苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

世を癒すために

  それから、イエスは、ペテロの家に来られて、ペテロのしゅうとめが熱病で床に着いているのをご覧になった。イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。
  夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみないやされた。これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」
                     マタイ福音書8章14−17節<<        



1.ペテロの姑のいやし

 イエス様による癒しの記事です。場所はカペナウム、ここには漁師であったシモン・ペテロの家がありました。時については、マタイ伝は特にふれていませんが、並行記事をマルコ伝で読むと、ある安息日であったとあります。 イエス様は安息日の真の意義を明らかにし、ひいては律法の真の意義を実践をもってあきらかにされました。安息日の真の意義、律法の真の意義とは、神を愛し、また隣人を自分自身のように愛するということです。 しかし、マタイ伝では安息日であったことには触れていませんので、今回は、これ以上深く言及することはやめておきましょう。

 福音書にたくさん出てくるイエス様による癒しの記事のなかで、このペテロの姑の癒しの記事には二つの特徴があります。第一は8章15節です。
「8:15 イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。」
 イエス様にいやしていただいた姑は、ああ治ったよかったよかったとただ喜んだわけではありません。彼女は、その感謝をイエス様をおもてなしすることによって表現したのです。この出来事は、イエス様の癒しは、癒された人を新しい奉仕の人生へと導くということを象徴しています。
 あるとき、十人のツァラートの人がイエス様に癒しを求めにやってきました。イエス様が彼らをいやすと、いやしをいただいた十人のうち九人は、もう用は済みましたというわけでイエス様のところにもどって感謝することさえしませんでした。一人だけ、イエス様に感謝をするために戻ってきました。ペテロの姑は、さらに感謝をするだけでなく、イエス様に奉仕をしたのでした。彼女の行動は「私たちが救われたのは、奉仕の人生を生きるためだ」という真理を教えています。
 先週、教団の責任で日本福音同盟JEAの神戸での年会に行ってきました。今回は、開会礼拝のメッセージ、総会の中における東日本大震災で地域に奉仕してこられた牧師たちの証し、そして、賀川豊彦さんの孫にあたる賀川+++氏による講演があり、最後に閉会礼拝でした。計画したわけでもないのに、神様の導きによって首尾一貫したメッセージとなっていました。
賀川督明さんは静かな話口調で、前夜十分に眠ることができなかった私は始めは眠くなってしまったのですが、そのうちその内容にグイグイと引き込まれました。
 賀川豊彦の働きの紹介。中心教育。人を育てること。・・・イエス様によって触れられて救われたとき、賀川はああよかったよかったということではなく、イエス様にご奉仕をささげることを自分の人生そのものとするようになったのでした。
 「賀川 豊彦(かがわ とよひこ、旧字体:豐彥、1888年明治21年)7月10日 -1960年(昭和35年)4月23日)は、大正・昭和期のキリスト教社会運動家、社会改良家。戦前日本の労働運動、農民運動、無産政党運動、生活協同組合運動において、重要な役割を担った人物。日本農民組合創設者。「イエス団」創始者キリスト教における博愛の精神を実践した「貧民街の聖者」として日本以上に世界的な知名度が高い。茅ヶ崎の平和学園の創始者である。」(Wikipedia) 著書「死線を越えて」はノーベル文学賞候補となり、彼の活動はノーベル平和賞候補ともなったそうです。
 そして、賀川豊彦のつくったイエス団の働きを、孫の督明さんは引き継いでいらっしゃるのです。とはいえ賀川のしたことのすべてが正しいことばかりでなく、その時代の子としての限界のなかにあることを冷静に認めながら、賀川を通してなされたことを今という時代の中で主イエスの恵みに対する応答として引き継いでいくことがたいせつなことであると話され、現在は山梨県の都留でそれを、実践されているのです。
 私たちひとりひとりもイエス様によって触れられた者です。遺されている人生を、自分のためにではなく、イエス様にご奉仕するために、イエス様がくださったこの世界における働きのためにささげ尽くして生きたいものです。
 閉会礼拝では内藤達朗牧師というホーリネス教団の委員長が話をしてくださいました。聖書個所は創世記1章26-28節です。祈ってきた、伝道も熱心にしてきた、けれども、教会は伸びず、解散、合併をしなければならない状況である。献身者が起こされない。なぜですか、と主に問われました。
狭い意味の伝道だけをしてきたからではないか。人をイエス様にある救いに導いたら、そのあとはただ天国に送る届けることが牧師のつとめだという認識で、世界のこと社会のことに無関心・無責任であったとおっしゃるのです。しかし、ほんとうは私たちがイエス様に触れられて救われたのは、神様が託されたこの世界を、創世記1章にあるように、神様のみこころに沿って、神様のしもべとして、正しく治めるためなのです。それを私たちは怠って、イエス様を信じて救われたら、この世の生活、政治、環境問題、教育問題、平和の問題などに無関心であった。このことを悔い改めなければならない。 ホーリネス教団というのは、きよめを強調するグループですが、その清めが個人としてのきよめにとどまって来た。ほんとうは、きよめは個人としてのきよめから、教会としてのきよめ、その人の家族のきよめ、地域社会のきよめ、国のきよめ、世界のきよめにまでひろがっていくべきものであるのに、そのことを怠ってきたのだとおっしゃいました。

 私たち一人一人も、人生のなかでイエス様に触れられたものです。イエスさまにふれていただいたとき、私たちは罪赦されて新しいのちが私たちのうちに注がれました。それはそれまでの自己満足のために生きる人生をやめて、キリストのために全人生をささげて、この世界に派遣されて、この病んでいる世界に、イエス様のみこころが実現するために、生きていくためなのです。


2.イエスの癒しの業は他人の病を引き受けること・・・贖罪的人生

 このイエス様による癒しの記事の第二の特徴は、末尾に出てくる預言者イザヤのことばです。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」
 メシヤが来るとき、そのお方は病の癒しをしるしとして行われるということが言われているわけですが、イエス様による癒しは、「私たちのわずらいを身に引き受け、病を身代わりになって担う」ことによって行われるものなのです。これはほんとうに大変なことです。三浦綾子さんの自伝「道ありき」の中に、三浦光世さんとの初めての出会いの場面が出てきます。綾子さんの知り合いの人が、結核でギプスベッドに縛られた状態にある綾子さんの友達になってくれればと思って、短歌の雑誌に載っていたのだったかと思いますが、「光世」という名を女性の名前だと誤解して、光世さんに綾子さんの友達になってほしいと願ったのでした。光世さんは、難病でギプスベッドに縛られて寝たきりの綾子さんを訪ねて、話をし、最後にお祈りをされたそうです。
「天の父よ。掘田さんの病をどうぞお癒しください。もし、私が堀田さんの病を身代わりに引き受けることによって癒していただけるならば、そのようにしてください。」
 生きて働かれる神様を信じている者にとって、この祈りは恐ろしいことです。私は思うのですが、光世さんの心のうちにはおそらくイザヤ53章のことばがあったのだろうと。

 イエス様は事実、私たちの罪と病を身に引き受け、背負うことによって癒してくださったのです。しかし、イエス様の癒しというのは、単に肉体の病を癒すことだけを意味しませんでした。この個所、イザヤ書を見ると、イエス様の癒しというのは、イエス様の贖いのわざの中に位置付けられていることに気が付きます。病とはなにか?病は、アダムの堕落以来、この世界にはいりこんできた悲惨です。個々の病がその人や先祖の罪の結果であると聖書は教えているわけではありません。病によって象徴されていることは、私たちアダム以来人類全体の罪の結果として、人間社会とこの世界にもたらされたさまざまな悲惨です。イエス様は、罪を赦してくださったばかりか、悲惨をもおのが身に引き受けることによって、癒そうとされたのです。
 この世界は病んでいます。それは、夫婦の間の不和という病、親子の間の争いという病、隣人どうしが憎みあっているという病、貧困によって母子家庭で親子ともども餓死しているのに、片方でアベノミクス・バブルでもうかったと浮かれている人々というこの社会。国と国との領土をめぐる戦争。自分の国が金儲けできるならば相手の国を滅ぼしてしまうような兵器や原発を売りさばいてしまう国家としてのエゴイズム。そして、自然環境が破壊によってさまざまな動植物が絶滅し、あるいは絶滅の危機に瀕しているという現状。これらは考えてみれば、すべて罪からでている病です。みんながそれぞれ、自分の成功・自分の快楽・自分の幸せ・自分の利得にしか関心がないという病に陥っています。社会全体が癒しを必要としています。

 以前、広瀬薫牧師に教えてもらった「贖罪的な生き方」ということばを紹介したことがあります。賀川豊彦の生き方、その原動力となったキリスト者としての生き方の原理です。イエス様は、私たちが犯した罪を自分が責任があるわけではないのに、十字架で引き受けて死んでくださいました。イエス様は、また、病をご自分の身に引き受けて苦しむことによって、私たちを癒してくださいました。
私たちが自分の十字架を負ってイエス様の足跡をたどっていくということは、イエス様のように歩んで行くことを意味しています。それは、人が捨てたゴミを、私が捨てたわけではないから私には関係ないといって見過ごすのではなく、自分の手で拾う生き方です。
 神戸での会議が終った日の正午、兄が、義姉といっしょに車で迎えに来てくれました。それで須磨の海岸に行きました。義姉は御存知のように一昨年脳出血で倒れて大きな手術をして、車椅子の生活です。でも、あの手術のあと、イエス様を受け入れてほんとうに根本から新しい人になりました。須磨の海岸は車椅子を押して散歩できるように遊歩道ができています。海を眺めながらいろいろと話をして帰り道、義姉が言いました。「そこに落ちている空き缶を拾って」と。三個のコーヒーの空き缶があり、腐ったおにぎりの入ったポリ袋を拾いました。そして「わたしはこれくらいのことしかできないけど、それでもできることをしたいんよ。」と言いました。
 私たちは賀川豊彦のように大きなことはできないかもしれません。青年たちは大志を抱いて賀川さんのように大きな奉仕をしてほしいと思います。私たちは小さな者であったとしても、本気になって他人が捨てたゴミを自分には関係ないというのではなく、自分のこととして拾い上げる生き方を、その置かれた持ち場立場で実践して行くならば、あなたの周りは少しきれいになって癒されて行き、世の中が段々ときれいになっていくでしょう。そうしてイエス様の光が地上に輝くようになるのです。