苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

日本紀

 ずいぶん前にメモしたことですが、アップします。


 以前、秦氏のことを調べるために手に入れた現代語訳『日本書紀』上下(宇治谷孟講談社学術文庫)を通読した。古事記とちがって日本書紀はとっつきにくいし、原文は漢字・万葉仮名のみであるし、書き下し文の岩波のテキストはあったけれど、大部のものを読み通す気になれなかった。今回は、全現代語訳で通読してみた。日本書紀ではなく、日本紀というのが正式名称なのだそうである。
 特に、壬申の乱に関心があった。というのは、以前、教会のS兄から『天上の虹』という壬申の乱に取材した里中満智子の大長編漫画を借りて読ませてもらったからである。これは主人公を、天智天皇を父としてもち、天武天皇(夫の弟)を夫としてもった女帝持統天皇(幼名讚良)とした物語である。それはそれとして、日本紀は文学的には面白くも無いが、いろいろ興味をひくことが記録されている。

地震
 日本紀のなかには政治的動き天変地異の記録があれこれ残されている。それは当時、政治と呪術は不可分の関係にあったからだろう。天変地異があるたびに遷都をするという天皇もいた。日本紀における天変地異の記録のゆえに、われわれは古代にあった地震の年代を正確に知ることができる。たとえば、天武天皇の十三年(西暦684年)におきた地震の描写はつぎのとおりである。
「十四日、人定(いのとき、夜十時ころ)に大地震があった。国中の男も女も叫び合い逃げまどった。山は崩れ河はあふれた。諸国の郡の官舎や百姓の家屋・倉庫、社寺の破壊されたものは数知れず、人畜の被害は多大であった。伊予の道後温泉も、埋もれて湯が出なくなった。土佐国では田畑五十余万頃(約一千町歩)が埋まって海となった。古老は『このような地震は、かつて無かったことだ』といった。この夕、鼓の鳴るような音が、東方で聞こえた。『伊豆島の西と北の二面がひとりでに三百丈あまり広がり、もう一つの島になった。鼓の音のように聞こえたのは、神がこの島をお造りになる響きだったのだ』という人があった。」
 四国沖から東海地方にわたる長大な南海トラフが動いたことがわかる。


百済滅亡と王族たちの渡来
 もうひとつ興味深いのは、朝鮮半島との緊密な関係である。天智天皇の2年(西暦663年)白村江の戦いの描写が第27巻天智天皇の巻に出てくる。新羅・唐の連合軍は白村江で、百済・倭連合軍をさんざんに打ち破り、9月7日百済はついに滅亡した。
「九月七日、百済の州柔城は唐に降服した。このとき国人は語り合って、『柔州城が落ちた。如何とも致しがたい。百済の名前は今日で終わりだ。先祖の墓にも二度と行くことができぬ。ただテレサシに行って、日本の将軍たちに合い、今後の処置を相談しよう。』といった。(中略)翌日船を出してはじめて日本に向かった。」
「(天智天皇の三年)三月、百済王の善光らを難波に住まわしめた。」
「(天智天皇の四年四月=西暦665年)百済国の官位の階級を検討した(百済滅亡後、多数渡来した百済人に冠位を授けるため)。(中略)また百済の民、男女四百人あまりを、近江の国の神埼郡に住ませた。」

 
●石油
 また天智天皇の七年の七月にこんな記事もある。
「また越の国から燃える土と燃える水ををたてまつった。」
 越の国とは北陸から新潟。燃える水はいうまでもなく石油だろう。燃える土はアスファルトか泥炭だろう。