苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ダビデ・・・主の心の琴線に

24:1サウルがペリシテびとを追うことをやめて帰ってきたとき、人々は彼に告げて言った、「ダビデはエンゲデの野にいます」。 24:2そこでサウルは、全イスラエルから選んだ三千の人を率い、ダビデとその従者たちとを捜すため、「やぎの岩」の前へ出かけた。
  24:3途中、羊のおりの所にきたが、そこに、ほら穴があり、サウルは足をおおうために、その中にはいった。その時、ダビデとその従者たちは、ほら穴の奥にいた。 24:4ダビデの従者たちは彼に言った、「主があなたに告げて、『わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。あなたは自分の良いと思うことを彼にすることができる』と言われた日がきたのです」。そこでダビデは立って、ひそかに、サウルの上着のすそを切った。
 24:5しかし後になって、ダビデはサウルの上着のすそを切ったことに、心の責めを感じた。 24:6ダビデは従者たちに言った、「主が油を注がれたわが君に、わたしがこの事をするのを主は禁じられる。彼は主が油を注がれた者であるから、彼に敵して、わたしの手をのべるのは良くない」。 24:7ダビデはこれらの言葉をもって従者たちを差し止め、サウルを撃つことを許さなかった。サウルは立って、ほら穴を去り、道を進んだ。  
                 サムエル記上24:1-7


 サウル王の追討軍が逃げ回るダビデ一党をそこまで追い詰めていた。ダビデと部下たちが洞穴の奥に身を潜めていると、ぷ〜んと変なにおいが漂ってきた。サウル王が洞穴にキジを撃ちに来たのである。これは千載一遇のチャンス。ダビデの部下たちは、ダビデに、「サウルを討つべきだ、これは主があなたの手に敵をお渡しになったのだ」と勧める。
 それもそうだと、ダビデは心動かされて悪臭をこらえながら、唸りながら一事に専念しているサウル王に後ろから近づき、一刀両断にしようとした。だが、ふと思いとどまって、後ろにひいた長いマントのすそを切り取るにとどめた。(それにしても、後ろから人が近づきマントのすそを切り取るのにも気づかないとは、サウルはずいぶんうかつな人である。よほどおなかが痛かったのかもしれない。)
 ダビデが王を撃たなかったのは、いかに自分に暴虐を働く人であっても、この方は、主が油を注いだ王であると思ったからである。ここがダビデがただの武人ではなく、主を愛する主のしもべであったことの証しだった。ダビデは過ちも多かったけれど、ここぞというところで、いのちがけで、主への畏れと愛を表している。ダビデの言動は、なんとも主なる神の心の琴線に触れるところがあった。



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