苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

サウル3

15:22サムエルは言った、
「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、
燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。
見よ、従うことは犠牲にまさり、
聞くことは雄羊の脂肪にまさる。
15:23そむくことは占いの罪に等しく、
強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。
あなたが主のことばを捨てたので、
主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。
              サムエル記上15:22,23


 サウル王は自分は立派なことをしたと思い込んだ。だから、彼はアマレクに対する戦勝の記念碑をさえ建てた。サウルは自分が主に背いたことを自覚さえしていなかったのである。なぜだろうか。
 サウルは神の箱を持ち出したり、いけにえをささげたり、祭壇を築いたり、断食を布告したり、と一見宗教的なのだが、それらはいつも主のみことばから離れた自分流のものだった。それは占いであり、偶像礼拝であり、魔術なのである。「背くことは占いの罪にひとしく、強情は偶像礼拝の罪にひとしい・・・あなたは主のことばを捨てた・・・」と。
 むかし読んだ本に、「偶像礼拝の本質とは、(神のみことばを離れて)自分流の神のイメージをもてあそぶことだ」とあった。