苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

サウルの空回り

14:28その時、民のひとりが言った、「あなたの父は、かたく民に誓わせて『きょう、食物を食べる者は、のろわれる』と言われました。それで民は疲れているのです」。 14:29ヨナタンは言った、「父は国を悩ませました。ごらんなさい。この蜜をすこしなめたばかりで、わたしの目がこんなに、はっきりしたではありませんか。(サムエル記上14:28,29)


14:35こうしてサウルは主に一つの祭壇を築いた。これはサウルが主のために築いた最初の祭壇である。(サムエル記上14:35)


14:44サウルは言った、「神がわたしをいくえにも罰してくださるように。ヨナタンよ、あなたは必ず死ななければならない」。 14:45その時、民はサウルに言った、「イスラエルのうちにこの大いなる勝利をもたらしたヨナタンが死ななければならないのですか。決してそうではありません。主は生きておられます。ヨナタンの髪の毛一すじも地に落してはなりません。彼は神と共にきょう働いたのです」。こうして民はヨナタンを救ったので彼は死を免れた。 (サムエル記上14:44)


 サウル王はペリシテ人との戦をするにあたって、断食を布告し、祭壇を築いた。ところが、断食の布告が行き渡らず、戦場でもっとも活躍した息子ヨナタンは戦場にあった蜂蜜を食べてしまい、また、民は空腹に耐えられずに家畜を殺し、しかも、血のまま食べるという律法に反する罪を犯してしまった。そうして、このたびの事件の発端となったのがヨナタンであるとわかると、大いに嘆きつつ彼の死を宣告した。だが、民はヨナタンを救った。
 この後、ヨナタンに対して主のさばきはくだらなかったことを見ると、民の判断が正しく、王の判断がまちがっていたことがわかる。そもそも、長い戦闘のなかで、断食の布告をしたこと自体に無理があったので、神は呆れておられたのであろう。サウルは一生懸命にイスラエルの王らしく宗教的であろうと振舞っている。けれども、彼の奇妙な敬虔さは空回りをして、周囲を振り回して苦しめている。どうしてサウルは空回りしてしまうのか。
 ひとつには昨日書いたが、どうも彼の霊性は魔術的であって、いけにえや祭壇や断食というものを、そうしたものとして捕らえていたのではないかという点。もうひとつ、思い起こさせられるのは、主イエスが言われたもっともたいせつな戒めのことである。主イエスは、神を愛することと、隣人を自分自身のように愛すること、この二つは一つであると教えられたが、サウルにはこの点で欠けがあったのかもしれない。
 彼なりに一生懸命なのはわかるのだが、ずれているので、ただただ周囲を振り回しているだけというのが、いたましい。自分もこんなこと、時々あったような気がする。反省。


   菜の花