苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

シャカの道2・・・シャカは死後については「無記」、無関心

 シャカが人間の死後の問題についてどういうふうに考えていたかを示している二つの話がある。一つは「ヴァッチャゴッタの問い」、もう一つは「毒矢の譬え」である。これらは原始仏典『阿含経典』のなかに納められている。いずれも私たちが注目している「死後観」については、内容的にはまったく同じことを言っているので、ここでは毒矢のたとえだけを示すことにしたい。本文全体に関心のある方は増谷文雄『阿含経典』第五巻(筑摩書房)を御覧いただきたい。
 マールンクヤプッタという哲学青年が、次のような哲学的な問題をシャカの所に持ってきた。<この世界は常住であるか、無常であるか。この世界は辺際があるかないか。あるいは、霊魂と身体は同じであるか、各別であるか。また、人は死後にもなお存するのであるか、存しないのであるか。あるいはまた、人は死後には存し、かつ存しないのであるか、それとも、人は死後には存するのでもなく、存しないのでもないのであろうか。>そしてマールンクヤプッタはこれらの問いにシャカが納得の行く答えをくださったら、シャカについて清浄の修業をしようと考えていた。
 これらの問題は、シャカのいた時代、インドの哲学者たちの間で関心をもたれ、議論されていたものだった。シャカのいた前五世紀という時代は自由思想家の時代で、すでに「インドでは、ウパニシャッドに見られる多くの哲人が、すでに輩出したのちであった。そこには極端な唯物主義、快楽論から懐疑主義に至るまで、あらゆる思想が出そろっていた」(長尾p11)。シャカもそうした自由思想家の一人だった。
 さて、この問いに対してシャカはどう答えたか。世界の永遠性についても、世界の無限性についても、霊魂と身体の一体性区別性についても、人間の死後の存在問題についても「無記」の答え、つまりイエスともノーとも答えなかった。死後の問題に関するところだけ引用しておく。

 「マールンクヤプッタよ、<人は死後もなお存するとの見解が存するとき、そのとき清浄の行がなる>ということはない。マールンクヤプッタよ、<人は死後には存しないとの見解が存するとき、そのとき清浄の行がなる>ということもない。マールンクヤプッタよ。人は死後にもなお存するとの見解があるときにも、あるいは、人は死後には存しないとの見解の存するときにも、やっぱり、生はあり、老はあり、死はあり、愁・悲・苦・憂・悩はある。そして、わたしは、いまこの現世においてそれを克服することを教えるのである。」(増谷文雄訳『阿含経典』p52)


 死後、人間がどうなるかということについては、シャカは何も答えない。シャカにとっては、死後どうなるかという問題は現世の苦悩にはなんら関係がない。そして、シャカは自分の務めはなにかといえば、「いまこの現世において」人間が持つもろもろの苦悩を克服する方法を教えることなのだということである。徹底した現世主義。この点がシャカの思想が、もろもろの形而上学的な問題を議論することで明け暮れていた当時の自由思想家のなかでユニークな点であった。
 シャカは死後の「救い」については沈黙して、「いまこの現世において」というところに集中して、苦悩からの解放の道を説こうとした。シャカにとっては死後の「救い」は関心の外にある。だから、自分が死のうとするときにも、シャカは弟子たちに命じた。「私の葬式には在家の信者たちがするだろうから、君たちは大切な修業に専念しなさい。」と。
 そういうことから考えると、もしかりにシャカという人物が現代の日本に生きていたら、一般的な意味での宗教家という範疇の外の人であろう。日本では、宗教というものは死後の問題を扱うものであり、宗教家というのは葬式や死者の供養にかかわる務めをするものであるというのが、一般的な考え方であるから。もし現代にシャカが生きていたら、「葬式仏教」の現状に目玉が飛び出るだろう。彼自身は大学の心理学ゼミの教授か、あるいは町の精神科のクリニックのお医者さんをしているのではないか。