苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

泉を求める

時にカレブは言った、「キリアテ・セペルを撃って、これを取る者には、わたしの娘アクサを妻として与えるであろう」。カレブの弟ケナズの子オテニエルがそれを取ったので、カレブは娘アクサを妻として彼に与えた。 アクサは行くとき彼女の父に畑を求めることを夫にすすめられたので、アクサがろばから降りると、カレブは彼女に言った、「あなたは何を望むのか」。 アクサは彼に言った、「わたしに贈り物をください。あなたはわたしをネゲブの地へやられるのですから、泉をもください」。それでカレブは上の泉と下の泉とを彼女に与えた。 (士師1:12−15)


 アクサは嫁に行くにあたって、父から何が欲しいと問われて、即座に「泉を」と求めた彼女の賢さ。使ってしまえば尽きてしまうものではなく、永久にこんこんと湧き出でる泉を求めたことを士師記記者はほめているのだろう。

エスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。   (ヨハネ4:13,14)


なお14節に少し翻訳上の疑問がある。

口語訳 アクサは行くとき彼女の父に畑を求めることを夫にすすめられたので・・・

新改訳 彼女がとつぐとき、オテニエルは彼女をそそのかして、畑を父に求めることにした。

文語訳 アクサ往くときおのれの父に田圃を求めんことを夫にすすめたりしが・・・


 新改訳では「そそのかし」というやや悪意ある表現をとっている点に特徴があるが、それはここでは措くとして、口語訳と新改訳はいずれも「すすめ(そそのかし)た」のは夫オテニエルとしている。ところが、文語訳は「すすめた」のはアクサだとしている。おもな英訳聖書は例外なく、みな文語訳と同じく、「勧めた」のはアクサであるとしている。 http://bible.cc/judges/1-14.htm
 なぜ口語訳と新改訳は、オテニエルが勧めて、アクサが父に求めたとしているのだろうか。おそらく続く箇所で、カレブがアクサに(嫁として持参するものとして)何が欲しいかと尋ね、彼女が「泉を」と答えているからだろう。