苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

憲法第13条・・・憲法のヘソ

 今、憲法13条がちょっとした話題になっているそうである。というのは、3月29日の参議院予算委員会で小西洋行議員が安倍首相に対する質問のなかで、憲法13条を取り上げたが何も答えられなかったからである。小西議員の質問は稚拙、態度はいささか失礼といわざるをえないものだったので、印象が悪く、議論を深めるものとならなかったのは残念である。
 しかし、憲法第13条自体は日本国憲法ばかりでなく、近代国家の憲法の根本的な価値観を表現する条文として重要なものとされている、いわば憲法のヘソなのだそうである。自民党憲法改正草案では、このヘソをいじっているのである。「ヘーソー」と笑っている場合ではない。ヘソのゴマを取るとおなかが痛くなるように、憲法13条をいじるとこの国の国民は相当痛い目にあうことになる。
 筆者は憲法を専門に勉強したことはないけれど、今はとっても便利な時代で、ネットで「憲法第13条」と検索すれば、一通りの常識を知ることはできる。メモしておきたい。

憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」


自民改憲草案第13条 「全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。」

 改変されているのは、次の文言である。

個人→人
公共の福祉→公益及び公の秩序
最大→最大限

 「個人」と「人」のちがいはなにか。「個人として尊重される」とは、ひとりひとりがかけがえのない者として大事にされるという意味である。一人一人の生命や思想信条のちがいを重んじるということである。自民改正案は「個人」を嫌っている。自民改正案の本音を、ズバリと言ってしまえば、個人である前に日本国民であれと求めているのである。「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ・・」という教育勅語的・国家主義的な価値観を押し付けているのである。
 「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」のちがいも同じである。自民改憲案QアンドAによれば次の通りである。「公共の福祉」というのはAさんの人権とBさんの人権がぶつかった場合のことをさしている。つまり、他人の迷惑を考えて自分の人権の主張は調整する必要があるということを意味する。しかし、「公益及び公の秩序」は「憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではない」という意味だとQAで解説されている。人権同士の衝突でないとすれば、それは、人権が国権にぶつかる場合以外にはない。つまり、あなたの意見・利益が国策に反しない限りは尊重されなければならないが、国策に反するならば尊重しないよ、と言っているのである。
 「個人」の価値を国よりも重く見るという価値観は、ジョン・ロック以来の近代市民社会に普遍的な価値観である。これを否定して、国家の価値が個人の価値より重いとしようというのであるから、わが国は近代国家の資格を自ら放棄することになるだろう。それにしても、声高に「自主憲法制定」を主張している首相が、この憲法13条について一言の答弁もすることができなかったのは残念だった。

 憲法13条についてはこちらに詳しい。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%B7%FB%CB%A113%BE%F2


   庭のムスカリがやっと花をつけました