苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

賛美歌のかんたん文語文法1 「主はつよければ」

 教会で用いられている歌集である、新聖歌、讃美歌、聖歌の文語の歌詞を、現代人が誤解しないための文法や語彙を、いくつかメモして行きたいと思います。なるべく実際的に書きます。

1.母音e+ば=「〜なので(確定条件)」または「〜といつも(恒常条件)」

 高校の古文の時間には、「未然形+ば」は仮定条件で「もし〜ならば」という意味であり、「已然形+ば」は確定条件で「〜なので」あるいは恒常条件「〜するといつも」という意味であると習います。でも、「ば」に先立つそれぞれの語の活用形が未然型か已然形かを知らなければならないので、ちょっとやっかいです。そこで、ここではほとんどのばあいに通用する、かんたんな見分け方を紹介します。
 それは、文語のほとんどの場合、「ば」の直前のことばの母音がeであれば、「〜なので」という意味になるということです。これは讃美歌で多用されています。

<〜なので(確定条件)の例>
新聖歌5、聖歌180「あがなわれたれば」→あがなわれたのだから
新聖歌7、讃美歌7「主のいませば やすけし」→主がいらっしゃるので平安だ
新聖歌8、讃美歌5「あがない主によりて祈れば」→あがない主によって祈るので
新聖歌14、聖歌84「いと大いなれば」→たいへん偉大だから
新聖歌22、聖歌85「み神はわれらの父親なれば」→神様は私たちの父親なのだから
新聖歌45、讃美歌515「十字架の血にきよめぬれば」→十字架の血できよめてしまったのだから(「ぬれ」は確述助動詞「ぬ」の已然形)
新聖歌34、聖歌421「主よ今 御顔を仰ぎ見れば」→主よ今 御顔を仰ぎ見るので
新聖歌325、聖325「十字架のみもとに 荷を降ろせば」→十字架の下に荷を降ろすので
新聖歌505、讃461「主われを愛す 主は強ければ・・・」→主は私を愛する。主は強いので・・・

<〜といつも(恒常条件)の例>
新聖歌28、讃美93「御神の恵みを思いみれば」→神様の恵みを思いみるといつも

 このように「e+ば」はほとんど、「〜なので」「〜だから」という意味です。この文語文法を心得ているだけで、ずいぶん賛美歌の味わいに違いがでてきます。


2.母音a+ば=もし〜ならば(仮定条件)

新聖歌24、聖歌479「御国に帰りなば」→もし御国に確かに帰ったならば(「な」は確述助動詞「ぬ」の未然形)
新聖歌27、讃美歌23「人を愛して己に勝たば」→もし人を愛して己に勝つならば


3.例外
 新聖歌27讃美歌23「神にささげば」は、「e+ば」ですが、「神にささげるならば」という意味です。これは「ささぐ」という下二段活動詞の未然形が「ささげ」で、「未然形+ば」の仮定条件であるからです。もし「ささげるので」という意味ならば、「ささぐ」の已然形は「ささぐれ」ですから、「ささぐれば」となります。

 もうひとつ例外は新聖歌503、賛美歌429「愛の御神よ」です。「玉敷く庭も愛の露のうるおいなくば、など安からん」は、「もしうるおいがなければ」という意味です。「なし」という形容詞の未然形が「なく」であるので、「なくば」は「未然形+ば」の仮定条件であるわけです。

 少しばかり例外はあるものの、おおよそ<e+ば=〜なので>というのを覚えているといいです。



    オウバイ(黄梅 モクセイ科)