苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

蒔く者と刈る者がともに喜ぶために

ヨハネ4:36−38
2013年教団総会派遣礼拝説教

「すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。こういうわけで、『ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る』ということわざは、ほんとうなのです。わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」 ヨハネ福音書4章36節から38節


 私の聖書解釈学の先生が、「めだかの学校」の歌から大事な聖書解釈の原則を教えてくださいました。

 めだかの学校は 川の中
 そっとのぞいて見てごらん
 そっとのぞいて見てごらん
 みんなでおゆうぎしているよ

 なぜ「そっとのぞいて見てごらん」を繰り返すのでしょう。それは大事なことだからです。繰り返されるのは大事なことです。
 今回、派遣礼拝の説教のアウトラインを提出しましたら、総務の先生から、「『世の光』2月号と同じですよ。だいじょうぶですか?」と御心配いただきました。でもお祈りして、これは大事なことだと確信して、もう一度お話します。


1 蒔く者


 イエス様は、バプテスマのヨハネが活躍していた初期ユダヤ伝道を終えて、ガリラヤに向かう途上、サマリヤの地を通って、井戸のかたわらでサマリヤの女に伝道をなさいました。そして、「これからは、神はエルサレムでもサマリヤでもなく、霊とまことをもってささげる礼拝者をお求めになるのだ」(23節)と世界宣教のビジョンを語り、ご自分がメシヤであることを宣言なさいました。
そこに、弟子たちが戻ってまいりました。弟子たちは、『イエス様は半分異邦人であるサマリヤ人の女性になにを話しているのだろう』と、いぶかしげな表情をしています。その弟子たちの心のなかのつぶやきを聞き取って、イエス様が唇をひらいて語られたのが、34節以下のおことばです。イエス様は、異邦人伝道・世界宣教の嚆矢としてこのサマリヤの女への伝道をなさったのでした。

 弟子たちに対して、主イエスは、種を「蒔く者」と、その収穫を「刈る者」についてことわざを引用して話をなさいます。主イエスの念頭にあった「蒔く者」とは、イザヤ、エレミヤ、エリヤ、エリシャからバプテスマのヨハネにいたる、旧約のさまざまな預言者たち一人一人のことです。
 預言者たちは神に背き、律法を逸脱した王と国民に警告を与えるという困難な働きに召されました。預言者たちのメッセージは二つでした。一つは偶像崇拝にふけり社会的不正を放置している王と民に対して悔い改めてモーセの律法に立ち返れという命令。もう一つは、やがて神はメシヤを派遣してくださるという約束でした。預言者たちは主から賜ったこのメッセージを語るという任務のために苦しみ、彼らの多くは生命を主にささげました。
 イザヤを思い出してみましょう。若い日、イザヤが神殿で聖なる主の顕現にふれました。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ。」とセラフィムが叫ぶと、神殿の敷居の土台は揺るぎ、宮は栄光の雲に満たされました。イザヤは、聖なる臨在を前に、己の罪深さ、格別、自分自身の唇のけがれに圧倒され「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の【主】である王を、この目で見たのだから。」と落胆します。しかし、そのとき主は彼の唇を炭火をもって焼ききよめてくださいました。そのとき、イザヤは主の声を聞きます。

「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう」イザヤ6:8

 イザヤは即座に応えます。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」と。誰もが知っているたいへん有名な召しのことばと、応答のことばです。では、主はイザヤをどのような働きに召されたのでしょうか?主は続けておっしゃいました。

「行って、この民に言え。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。』
この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。
自分の目で見ず、自分の耳で聞かず、自分の心で悟らず、
立ち返っていやされることのないように。」

 なんという恐ろしい召しのことばでしょうか。「イザヤよ、君は民に対して悔い改めよと宣べ伝えるのだ。しかし、彼らは耳を閉ざし、目を閉ざして、決してわたしに立ち返ることはないのだ」と主はおっしゃるのです。イザヤはこれはたいへんなことになったと思ったのでしょう。たまらず、問いかけます。
 

 私が「主よ、いつまでですか」

すると主は仰せられます。

 「町々は荒れ果てて、住む者がなく、家々も人がいなくなり、
土地も滅んで荒れ果て、主が人を遠くに移し、
国の中に捨てられた所がふえるまで。」イザヤ書6:9-12

 イザヤは、まあ、なんとたいへんな任務を託されたことでしょう。イザヤは預言者としての使命に生涯をささげました。彼はウジヤ王、ヒゼキヤ王の時代に預言者活動をし、ヒゼキヤ王の後継者マナセ王の悪逆非道な政治を非難したことによって、紀元前701年か690年にマナセ王の治下でのこぎり引きの刑に処せられて殉教したと『イザヤの殉教と召天』という伝説(偽典)は伝えています。


2 刈る者


歴史の初めから存在しておられる主イエスは、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、エリヤといった数々の預言者たちの労苦と受難の惨憺たるありさまをつぶさに見てこられました。イゼベルとの戦いで神経が疲れ果てて、もう十分です、死んだほうがましといったエリヤ。悔い改めることを知らない民から売国奴呼ばわりされたエレミヤの苦悩・・・彼らのことを思えば、今、目の前にいる弟子たちはなんと恵まれた幸いな時代に生かされた伝道者だろうかと思っておっしゃいました。彼らは町町に出かけては、それぞれの魂の収穫の報告を持ってくることができたのです。主イエスはおっしゃいます。

「わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」

詩篇に「涙とともに種まく者は、喜び叫びながら帰ってくる」とありますけれど、旧約の預言者たちはみな、ただひたすらに涙とともに種をまきながら、収穫の喜びを見ぬままに、侮辱され罵倒された末、その命を絶たれたのです。壮絶な献身者たちです。
 新約の時代に伝道者として召された私たちはなんと幸いなことでしょうか。新約の時代の伝道者の幸いとはなんでしょう。それは、まず、旧約時代は予型や預言として、おぼろげに知らされていたに過ぎないメシヤが歴史の中に来られて、救いを成し遂げられた時代であるからです。私たちは明らかにされた、十字架と復活の福音のことばを与えられています。
 また新約の時代には、旧約時代にはごく一部の人にしか与えられなかった聖霊が、神の民すべてに注がれる時代です。新約の時代は『収穫は多いが働き手が少ない』という時代なのです。イザヤの時代とはちがいます。


3 ともに喜ぶ・・・宣教協力


 今年、私がお仕えしている小海キリスト教会は小海町で借家をして開拓を始めて二十周年を迎えます。長野県南佐久郡小海町で借家の居間で礼拝を始めて、二回目のお正月に最初に2名の受洗者が与えられました。そのうちの1人の姉妹は、お母さんが戦後まもなく小学校に上がる前、幼女の時に、天幕伝道でみことばを聞いたことがあるというTさんでした。その方は、「ほんとうの神様は仏壇にも神社にもおらず、天地万物を造られたお方なのだ」ということが、幼い心に刻まれたのだということです。
以来、心のなかに真の神様はいらっしゃるのだろうと思い、松原湖バイブルキャンプ場の川嶋先生ご夫妻のとくに奥様の人格にふれてこられたそうです。けれども、洗礼を受けるにはいたらないままにすぎて、先生たちも転任され、お嫁に行った先は隣村の檀家総代の農家で、持っていた聖書は姑さんに取り上げられてしまいました。以後、三十数年間、心のうちに神様への思いを抱きながらすごされたそうです。そんなある日、「通信小海」というチラシが新聞に折り込まれているのを見つけて、当時体調を崩して休学していた娘さんのことで相談に見えたのでした。その後、娘さんが先に洗礼を受け、その年の暮れ、Tさんも洗礼を受けられ、後年にはあのお姑さんも洗礼を受けられました。
かつて前任地練馬で一緒に四年間奉仕したジェイコブセン宣教師は、次のように話されたことがあります。「昭和二十四年、私たちが横浜に上陸したとき、一面が焼け野が原でした。日本の魂の救いのために、私たちは人生を主にささげてやって来ました。軽井沢で日本語を勉強しながら、週末には信州のあちこちで天幕を張って伝道したのです。でも、信州は霊的には岩のように固い地でした。私たちは、数年して失意のうちに信州を去ったのです。私たちが収穫らしきものを得たのは、新潟に転じて後のことです。」
 主は、その信州の地に私たちをお召しになり、この姉妹たちに続いて、その家庭集会から救われる方が起こされ、また、十年たってそのご主人も救われというふうに導かれてきました。小さな美しい会堂が9年目に与えられて、今日にいたります。私は、かつてこの地で涙とともに種を蒔いて、失意落胆して去った宣教師・伝道者たちに、「ともに喜んでください」と申し上げたいと思います。「それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。」と主がおっしゃったからです。また、開拓の当初は、KDKを通じて米国の顔もしらない兄弟姉妹のサポートが三年あり、そのあと教団から教会補助費でしばらくサポートしていただきました。会堂を建てようというときには、多くの方が献金を寄せてくださいました。みなさんに、「ともに喜んでください」と申し上げたいと思います。「それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。」
 筆者が家族とともに南佐久郡で伝道を開始して19年間で、蒔かれた福音紙「通信小海」は234号になります。それでも決して収穫は多いとはいえませんが、主イエスを愛する小さな礼拝の群れが生まれました。小さなしもべが蒔いた種を、後日、他の伝道者が刈り取る日があることを信じて、なお励んで行きたいと思っています。


結び
同盟教団では都市部の大きな群れの兄弟姉妹が労苦して主にささげた尊い献金が、田舎の小さな群れの宣教を支え一人二人と救いの業が続けられています。また、田舎の教会で涙をもって種まきをし手塩にかけて育てた青年たちが高校を卒業して都会に進学・就職して都会の教会の柱となっていることです。このことを田舎の教会も都会の教会もともに喜ぶこと、これが宣教協力です。
また、同盟教団に属する過半の教会は、米国、カナダ、スイス、スウェーデンの宣教師たちと、彼らの背後にあった兄弟姉妹たちの祈りとささげものによって生まれました。これもまた、宣教協力の実です。ですから、私たちはアジアと世界の救霊のために宣教師を派遣します。これもまた、宣教協力です。
私ども日本同盟基督教団は、今回の総会を全教会代表者による最後の教団総会として、来年度から宣教区会議と代議制総会の二本立ての教会会議で運営してゆこうとしています。その機構は変わったとしても、目的にはいささかの変更もありません。その目的とは「聖書信仰に立って、より豊かに実りある宣教協力をすること」にほかなりません。そうして、蒔く者と刈る者とがともに喜ぶことです。