苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

小泉八雲『日本の心』

 幣原喜重郎が『外交五十年』のなかに、米国には時々たいへん日本に同情的な人、いわゆる親日家がいて、その人々に共通していることは、小泉八雲ラフカディオ・ハーン)の『心』を読んでいるということだと記していた。父は、八雲の『怪談』が好きで、私は幼いころ、よく兄と一緒に、父から「耳なし芳市」その他のこわい話を聞かされたものである。その後、英語のサブリーダーとして『Kwaidan怪談』を読んだ記憶がある。
 また、もう十数年も前だと思うが、テレビのドラマで小泉八雲が取り上げられていた。美しい松江の町が舞台となっていた。ハーンは古い日本の面影が残っている松江の町を愛していたが、後にやむなく熊本に転じる。彼は近代西洋化が急速に進んで日本的なるものが失われている熊本を嫌い、松江を懐かしんでいた。
 今回、幣原に刺激を受けて、講談社学術文庫にはいっている『日本の心』を手に入れて今、読んでいる。すでにそのほとんどが失われた日本の姿なのだが、それがなんとも味わい深い。たとえば、当時の障子について。

四月十六日 京都にて
 宿の私の部屋の雨戸は繰られ、さっと差し込む朝日が、金色に光る四角に区切られた障子の上に、小さなももの木の影を完璧に描き出す。人間の芸術家には、たとえ日本人といえども、この影絵をしのぐことはできない。黄色に輝く地に浮かび上がる紺のすばらしい画像は、ここからは見えない外の枝の濃淡さえ変えてみせている。私は、家の採光に紙を用いたことが日本の芸術に与えた影響について考えさせられる。
 夜、障子を閉めただけの日本の家は、紙を張った大きな行灯のように見える。外にではなく内側に動きまわる影を映す幻灯機だ。日中、障子の影は外からだけだが、日が出たばかりの時、ちょうど今のように、趣のある庭越しに光線が真横からさしていれば、影は大変見事なものとなろう。


 愚かなことに、日本人は、ハーンの愛したあの松江に「日本で唯一県庁所在地にある原発中国電力島根原発を造ってしまった。