苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

共に食すること

その穀物のささげ物の残りは、アロンとその子らのものとなる。それは【主】への火によるささげ物の最も聖なるものである。   レビ記2:3

 全焼のいけにえと比較して、穀物のささげ物の特徴は、ひとつかみの小麦粉と油と乳香全部を煙にして天に昇らせたほかは、祭司とその子たちが食べるという定めである。祭司は民の代表として、これらすべてをささげるのだが、神から、この部分は祭司たちへと下げ渡される。
 祭司とその子らは、穀物のささげ物を民の代表として食することによって、神と神の民との親しい交わりを表現する。「共に食べる」ことは、旧約聖書でも新約聖書でも、とても大事にされている。新約の契約のしるしのひとつも、聖餐である。
「見よ。わたしは戸の外に立ってたたく。誰でもわたしの声を聞いて、戸を開けるなら、わたしは彼の所に入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」黙示録3章20節
 それにつけても、家族がばらばらに食事をする「孤食」という社会現象は、この国の崩壊を意味しているのではなかろうか。会社の都合、受験勉強のため・・・こういうものが一番大事なことを壊している。