苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

祭司の耳たぶ

「あなたはその雄羊をほふり、その血を取って、アロンの右の耳たぶと、その子らの右の耳たぶ、また、彼らの右手の親指と、右足の親指につけ、その血を祭壇の回りに注ぎかける。」(出エジプト29:19,20)


 出エジプト記29章は祭司の聖別の定めである。ささげられたいけにえは、一頭の雄牛と二頭の雄羊。まず、一頭の雄牛は彼の罪のためのいけにえだった。祭司自身、聖なる神の前に罪ある人間として、罪のあがないが必要だった。次に、雄羊の一頭は、主への全焼のいけにえだった。全焼とはすべてを煙として天に昇らせることによって、人の取り分は無しということで、祭司は全身全霊をもって主に献身すべきことを表した。
 そして、もう一頭の雄羊は任職用である。この雄羊は祭司という任務がいかなるものであるかを表現している。預言者イザヤは唇を熱い炭火で焼かれきよめられたが、祭司アロンはその任務のために、唇ではなく耳を聖別されきよめられる必要があった。それは、祭司にとって主のおことばを聴くことが何よりも重要だったからである。祭司はけっして自分流に祭儀を執り行ってはいけない。ひたすら主のみことばに従って、祭儀は行われるべきであった。
 残念ながら、後に、アロンの子たちナダブとアビフは、異なる火を主にささげて死ぬことになる。祭儀は、俺流であってはならず、どこまでも主のお定めになったとおりに執行されるべきであったことを、耳たぶに血をつけられた身でありながら彼らは悟っていなかったのであろうか。