苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

血とかえると虫と病気

8:1主はモーセに言われた、「あなたはパロのところに行って言いなさい、『主はこう仰せられます、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。 8:2しかし、去らせることを拒むならば、見よ、わたしは、かえるをもって、あなたの領土を、ことごとく撃つであろう。 8:3ナイル川にかえるが群がり、のぼって、あなたの家、あなたの寝室にはいり、寝台にのぼり、あなたの家来と民の家にはいり、またあなたのかまどや、こね鉢にはいり、 8:4あなたと、あなたの民と、すべての家来のからだに、はい上がるであろう」と』」。 8:5主はモーセに言われた、「あなたはアロンに言いなさい、『つえを持って、手を川の上、流れの上、、池の上にさし伸べ、かえるをエジプトの地にのぼらせなさい』と」。 8:6アロンが手をエジプトの水の上にさし伸べたので、かえるはのぼってエジプトの地をおおった。
              出エジプト記8:1−6

 かたくななパロの心を打ち砕くために、主は十の災いをエジプトにもたらされた。これらの災害について、聖書はなんでこれほどのページを割くのだろうと思えるほど丁寧に記していて、連続講解説教などするときには、ちょっと困ってしまう。
 最初の災いはナイルを血にするという災いであり、ついで、おびただしい蛙である。ナイル川が住みづらくなったので蛙がのそのそ陸に上がって来たのだという因果関係は誰でも思いつくところ。ついでブヨとアブが大発生するのも、蛙という天敵が絶滅したのだから当然のことでもある。そのあと、エジプト中の膨大な蛙の死骸が腐って病原菌を虫たちが運べば、皮膚病や疫病が広がる。これらの主のさばきは、主が自然界に与えた法則を強化することによってなされたと解釈されよう。
 川を汚染したら、蛙が死んで、そのせいで天敵のいなくなった病害虫が大発生して、また殺虫剤・殺菌剤をあたりかまわずばら撒いて、その結果、多くの人が病気になって・・・と、なんだかいたちごっこみたいなことをやっている現代文明。このことにかぎらず文明によって私たちは便利になり傲慢になり、自らに裁きを招いているというようなことがあるのではないか、などといろいろ考えさせられる。