苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

国のあり方について(その5)・・・共和制と君主制の仕組みと長短

5.共和制と君主制の仕組みと長短

(1)仕組み
 実際に、民主的に国家が運営されうる現実の政治体制とは、本物の立憲君主制と、本物の立憲共和制のふたつである。前者では伝統的権威を帯びた君主が国民統合のシンボルとなり、後者は選挙など民主的手続きによる権威を帯びた大統領が国民統合のシンボルとなる。前者の例は、英国や北欧諸国、ベルギー、オランダ、昭和憲法下の日本などであり、後者の例は現代フランス、現代ドイツ、米国などがある。
 立憲君主制の場合、君主は政治的実権を持たないように制限がかけられる。君主は世襲による連続性が保証されているから、政治的実権をもてば専制政治に陥る危険性が大きい。政治的実権は、民主的手続きをもって選ばれた国民の代表によって立法・行政・司法の三権が握る。君主がどの程度これに関与するかは、国によって異なっている。
 立憲共和制の場合、大統領は政治的実権と国民統合のシンボルの両方を兼ねる米国・現代フランスのような場合と、現代ドイツのように大統領は国民統合のシンボルを担当し政治的実権は内閣に分担するという場合がある。前者のばあい、権力が大統領に集中するので、独裁を防止するために大統領を牽制するための装置がとくに大事である。


(2)共和制と君主制のメリットとディメリットを何点か・・・
 政治に関して・・・君主制のメリットの一つは継続性によるその安定感である。反面ディメリットは時代の変化に応じた自己改革の遅いことである。また、ときおり君主制国粋主義勢力に利用されて専制政治のシンボルに引き戻される危険がある。現在、日本はそういう危険性を抱えている。
 他方、共和制は時代の変化に応じた改革の速さがメリットであるが、急進的で継続性がないので安定感を欠く点がディメリットである。また、民衆煽動術に長けた人物が直接選挙で大統領になると、大衆の人気を背景に自らに権限を集中させて全体主義=独裁政治に走る危険がある。

 文化に関して・・・君主制は伝統的文化のよりどころとなる。君主が文化勲章を授与するとありがたみがあるのは、その伝統的権威ゆえである。実際のところ、高尚な文化というのは学問にせよ芸術にせよ、お金と暇と身分ある人々の趣味として継承されてきた。高尚な学問と芸術には、お金と暇だけでなく、多大な努力が必要であるが、その多大な努力を支えるのはプライドであろう。
 他方、共和制は身分制度を廃しているので、身分的不平等は原則として撤廃されている点がメリットである。米国で奴隷制度・黒人差別はあったのは矛盾だが。反面、高尚な伝統文化のよりどころがない。その文化は伝統派から見ると、バラエティ番組だらけといった下卑た大衆文化になってしまう。

 王室の人権に関して・・・君主制では王族は基本的人権が相当制約される。思想信条の自由、表現の自由職業選択の自由といった自由権のみならず、平等権・社会権・請求権・参政権も制限されている。英国の王室は結構好き勝手やっているようであるが、日本の皇室はなかなか息苦しそうで、格別、見初められて人生の途中から皇室に入れられてしまったお嫁さんたちは実に気の毒でならない。
 キリスト者としての筆者の思いからすると、明治以降の皇室は国家神道限定といされていることがかわいそうでならない。飛鳥時代以来1100年以上は皇室はむしろ仏教との縁が深かったのだが、明治以降、天皇は国策のために国家神道の現人神に祭り上げられ、戦後、国家神道は一応廃されたものの、皇室はあたかも大昔から神道限定であったかのような扱いを受けている。信仰は自由にさせてあげるべきだと思う。彼らも、神のかたちに造られた人間なのだ。

 王室の継続性・安定性の問題・・・ヨーロッパの諸王国の王室は親戚・姻戚関係にあるので、断絶しそうになると、人のやり取りをしてなんとか維持してきた。日本の皇室の場合、むかしは一夫一婦制ではなかったので維持されてきたが、現代では一夫一婦制が確立している以上、いずれ維持していくことが困難なときがやってくるであろう。ヨーロッパの王室のように他国の王室と姻戚関係をつくっていくということもあるだろうか。たとえばアジアではブータンカンボジア、マレーシア、タイは王制である。オセアニアにはトンガ王国もある。 前例がないわけではない。明仁天皇が指摘しているように、『続日本紀延暦8年12月28日条には桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると記されている。アジア・ヨーロッパ・アフリカの王室・皇室との人々のこういう往来が起これば、明治政府が捏造した国家神道の根拠のない純血主義に基づく国粋主義が打破されて、風通しがよくなるだろう。だが、もし将来そういう事態になったら、日本人は鎖国根性(注)で、もう大統領制に移行しようというのかもしれない。



<注>
 日本人の閉鎖性を「島国根性」という呼び名はまちがいだと考えている。江戸幕府による鎖国以前は、古代から大陸とこの列島の住民と文化はけっこう活発に往来していた。東シナ海程度の海は、往来の妨げというよりも、陸路よりもかえって大量の文物の往来を可能にしたのである。したがって、日本人の閉鎖性は島国根性と呼ぶよりも鎖国根性と呼ぶべきだと思う。
 参照:「海はつなぐ」http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20100925/p1