苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

国のあり方について(その3)・・・共和制が民主的とは限らない

3.共和制が民主的とは限らない


 NHK高校講座の世界史で山内昌之氏が「共和制であるからといって、民主的とはかぎらないところが、世界史のむずかしいところです。」と発言していた。山内教授は、米国を一例として挙げ、米国はイングランド王を排して共和制を樹立した共和国であるが、奴隷制と人種差別、他国への侵略行動という二点において民主的でないと指摘した。山内教授は言外に、「民主制は本来的に君主制とちがって奴隷制とか帝国主義的行動をしないはずなのになぜ?」ということをほのめかしていたわけである。
 しかし、歴史と現在の世界を見渡して思うに、そもそも民主制と君主制を対立概念として考えることがまちがいなのであって、実際には、君主制との対立概念は共和制なのである。共和制とは、王や皇帝のような伝統的権威を帯びた君主の代わりに、選挙などの手続きによる権威を帯びた大統領や主席を指導者として立てる政治形態である。
 では、民主制とはなにか。民主制とは国民主権の原則に立つ政治体制を意味する。単純に考えると王がいたら、民主制は成り立たないと思われ、立憲君主制というのは不完全な民主制だということになろう。しかし、歴史上の実例を見ると、どうもそうではない。実際には、民主制の政治手法のなかに二通りあって、元首として大統領や主席を立てる共和制型民主制と、憲法によって権限を制限した君主を立てる立憲君主制型民主制とがある。
 日本国憲法は、国民主権を謳い、かつ天皇の権限を国事行為という儀礼にのみ制限している。よって日本は立憲君主制型民主制であり、同類に英国や北欧諸王国やオランダ、ベルギーがある。もっとも、民主制と君主制が対立概念であると考える人々は、日本が立憲君主国であることを認めないかもしれぬ。「日本国憲法国民主権を謳っているのだから、天皇は国民統合の象徴であっても君主であるはずはない」と。

 さて、「共和制であっても民主的とはかぎらない」ことについて、歴史上に実例は多い。たとえば17世紀英国ピューリタン革命時代のクロムウェル独裁の共和制、18世紀フランス革命期の第一共和制の恐怖政治、20世紀ヒトラーが総統時代のドイツ、また、中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国も共和制だが民主的ではない。このように実例をみてくるとわかるように、共和制は独裁政治に傾きやすい。なぜか。少なくとも三つ理由がある。
 共和制が非民主・独裁に傾きやすい第一の理由は、歴史的に見ると君主制と共和制で社会構造が違うからである。中世の封建制社会にあっては、君主の下に領主階級という中間層がいた。民は領主たちの領民であったから、王とは直結していなかった。ところが、革命によって、君主と領主階級が倒されると、人民は中央政府に直結される構造になった。つまり、王政にあっては<王―諸領主―領民>という多元的社会構造だったのが、共和政になると<中央政府―国民>という中央政府と国民が直結する一元的構造になったのである。以前は「領民」意識だった民たちは、共和政がしかれると「国民」の自覚を持つようになり、「愛国心」を持つようになった。自分たちが選んだ大統領が強力かつ巧みに誘導すれば、「国民」はその方向へと走り出しやすい。つまり全体主義化しやすい。
 共和制が非民主的になり独裁政治に傾きやすい第二の理由は、共和制は大統領に権限が集中する傾向が強い制度であるからである。立憲君主制の場合は、国民統合のシンボルという機能は君主が担当し、実務的権限は首相が担当するという分担が行なわれるが、共和制の場合は、大統領ひとりに「国民統合の象徴」と「実務権限」の両者が集中させる場合がある。もっともドイツでは、大統領制には、こうした権力の集中という危険があることに鑑みて、大統領と首相の両方を立てて象徴と実務の分担をさせる手法を取ったり、米国では象徴・実務を兼務する大統領であっても議会と裁判所による牽制を行なっている。かつてナチスの時代のドイツでは、首相であったヒトラーは、ヒンデンブルク大統領が死ぬと首相と大統領を統合して自ら総統となって独裁政治を行なった。
 共和制が非民主・独裁に傾きがちな第三の理由は、伝統という価値の体現者としての王を排して、「今みんなで多数決で選んだ」という合理的価値を最大限に評価して大統領を立てるので、ダイナミックではあっても、急進的で安定感に欠くということである。そこにはフランス革命のような熱狂が伴うことが多い。伝統的価値というのは何百年という民族的・国家的な経験を経ているが、合理的価値というのはえてして短絡的で視野が狭い。
 このように共和制型民主制という仕組みは、独裁政治に陥りやすい。だから大統領や主席といった職務に権限が集中しないように安全装置を施しておく必要がある。それが三権分立の機能である。また、独裁者は軍を掌握することによって、その力を得るので、ここにも牽制する装置が必要である。
 歴史を振り返れば、国家体制についていろいろな工夫がなされてきたが、いずれにしても罪ある人間の建てる制度であるから完全なものはない。抽象的に考えるよりも具体的歴史に学び、政治の仕組みの長短を見極めて、それぞれの国情や歴史にふさわしいタイプを選んでこれを運営することが大事だというのが結論となるのだろう。日本の場合、現状は立憲君主型民主制である。これにはどのような性質が伴っているであろうか。