苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

代表権威が過ちを犯すとき

  9:18 箱舟から出て来たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤペテであった。ハムはカナンの父である。
9:19 この三人がノアの息子で、彼らから全世界の民は分かれ出た。
  9:20 さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。 9:21 ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。 9:22 カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。 9:23 それでセムヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。
9:24 ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、9:25 言った。
  「のろわれよ。カナン。
  兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」
9:26 また言った。
  「ほめたたえよ。
  セムの神、【主】を。
  カナンは彼らのしもべとなれ。
9:27 神がヤペテを広げ、
  セムの天幕に住まわせるように。
  カナンは彼らのしもべとなれ。」  創世記9:18−27


1 成功した日の罠
 大洪水の後ゼロから家族8人でやり直すというのは、不安もあり、たいへんな苦労があっただろう。大洪水の前とは自然環境も激変していた。祈りつつ勤勉に働いたに違いない。その苦労の甲斐あって、何もかも豊作だった。格別ぶどう畑は大豊作だった。ノアは、ほっと安心した。いつものノアであれば、ここで神の前に豊作を感謝して礼拝したのであるが、神とともに歩む人、謹厳なノアも気が緩んだのであろう。ぶどう酒をつくり、これをたらふく飲んで酔っ払って、テントの中で素っ裸で寝ていた。
 逆境において主にしたがうこともたいへんなことであるが、ノアはこれをなしえた。順境にあってなお主の前に誠実でありつづけることは、とても難しい。警戒を怠らず、感謝を怠らないこと。


2 代表権威の問題
 父ノアは息子たちセム、ハム、ヤペテに対して、神が立てたご自身を代表する権威であった。息子たちは、代表権威である父ノアを敬うことを通して、神を敬った。代表権威である父をないがしろにすることは、神をないがしろにすることを意味した。
 代表権威が神に対して誠実で立派な生き方をしているとき、これを敬うことはたやすいことであり、信仰がなくてもできることである。だが、代表権威が失敗をするとき、その代表権威の下にある者たちの、神に対する信仰の如何が問われる。信仰によって代表権威を敬ってきたのか、それとも、単なる人間的な判断で代表権威を敬って来たのかが測られることになる。
 セムヤペテは、失敗した父の恥を悲しみ覆うことによって、彼らが神を恐れるがゆえに、父ノアを敬って来たことを明らかにすることになり、祝福を受けることとなった。他方、ハムは単に父ノアが立派に振舞っている限りにおいて、敬っていたにすぎなかったので、父が失敗をしたとき父を辱めて、呪いを受けることになる。


「あなたの父と母を敬え。あなたの神、【主】が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」出エジプト20章12節