イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」
そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」ヨハネ福音書18:36,37
主イエスは国王である。しかし、主イエスの国は、この世のものではない。だから、世に属する人々は主イエスを抹殺し、また、主イエスのしもべたちも世に王を渡すまいと戦いはしなかった。
では、主イエスは、なぜ世に来られたのか。それは、世に真理を証しするためだった。世には、世に属する者と真理に属する者が混在しており、真理に属する者は主イエスの証しを聞くと、世から出て真理の王である主イエスに聴く。
では、世と主イエスはもともと無関係なのか。もしそうであるなら、イエスが世に来られたことは場違いなことだった。また、そうであれば善悪二元論ということになる。実際は、そうではない。「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」(1:10,11)とある。世は本来イエスのものであるが、世はイエスを拒んだのである。
次のようにたとえることができようか。
かつて光の王が自分の国を光をもって治めていた。ところが、闇という反逆者が起り、王国を簒奪した。闇王はこの国を闇の力をもって支配するようになった。しかし、闇の王国の中にはひそかにあの光に属する者たちがいた。
そこで光の王は、お忍びの姿で国を訪れて光のことばをもってご自分に属する呼び出して、闇の王国のただなかに、光の王国を築き始められた。闇はなお深い。だが、そのただ中に光が輝いている。