苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

自民改憲案の問題点(その8)・・・「公益及び公の秩序」の意図

 自民改憲案では、「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と置き換える。その実例として、表現の自由の制限と財産権の制限が条文に表現されている。

日本国憲法
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。


自民改憲
表現の自由の制限)
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。

 たとえば、国策によって戦争が遂行されているとき、平和運動団体を結成したり、反戦講演をしたり、反戦的な書物を書いたりすれば、「公益および公の秩序を害すること」にあたるとされうるであろう。
 もっとも、自民改憲案QA14を読むと、後半に「なお、『公の秩序』と規定したのは、『反国家的な行動を取り締まる』ことを意図したものではありません。『公の秩序』とは『社会秩序』のことであり、平穏な社会生活のことを意味します。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは、当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、これにより人権が大きく制約されることはありません。」とある。
 だが、残念ながら、この解説はごまかしだろう。もし解説文の通りなら、「公共の福祉」のままでよかったのである。そう判断される理由は二つある。
 第一に、このQA解説文は法的拘束力をもたないので、実際の適用にあたっては反故にされうるからである。実際にこの種のことを政府は反故にしてきた「実績」がある。国旗国歌法が定められたとき、政府答弁では当時の官房長官小渕恵三氏は「国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。」(1999年6月29日衆院本会議)と解説したが、現実には反故にされて、多くの教員が処分されていることは誰もが知るとおりである。
 第二に、法律用語上、「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」の違いは先に述べたように大きいからである。「公共の福祉」はAさんの人権とBさんの人権が衝突した場合、調整しなさいよという意味。一方、「公益」とは国家社会の一般的利益を意味していて、「公の秩序」は法律で「〜してはならない」という文言で決められていることによって構成されている秩序のこと。つまり、それは時の政府が国益であり国の秩序であると決めていることに反することによって、人権を制限しますよといっているわけである。
「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」のちがいについて
http://www.magazine9.jp/morinaga/120523/
http://d.hatena.ne.jp/cannon_cntn/20120429


 自民改憲案は、さらに、「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」という文言に入れ替えて、国策のために国民の財産権をも制限するとしている。

日本国憲法
第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。


自民改憲
(財産権の制限)
二十九条 財産権は、保障する。
財産権の内容は、公益及び公の秩序に適合するように、法律で定める。この場合において、知的財産権については、国民の知的創造力の向上に資するように配慮しなければならない。
私有財産は、正当な補償の下に、公共のために用いることができる。

 29条の改訂が想定している具体的なことは、有事法制憲法上の根拠を与えることであろう。2003年小泉政権下で定められた有事関連三法では「武力攻撃のおそれのある事態」「武力攻撃が予想されるにいたった事態」「武力攻撃事態」において、人や物や土地を国が強制収用することができるとされているが、この法制は違憲の可能性があるので合憲化したいのだろう。先の戦時下には、筆者の住む隣の村の野辺山の農民は、軍の訓練用飛行場として畑を強制収用されてしまった。また、人の強制収用が可能となるということは、徴兵制も視野に入っている。
 もっとも現行憲法下にあってさえ、沖縄県の人々はずっと国策のために「財産権の制限」の下に置かれ、生存権を脅かされているのである。いや、こういう「受身」の言い方は無責任だろう。本土に住む私たち自身が、米国に気遣いわが身の安全のために、沖縄の人々をこういう生命・財産の危険の下に置いているのである。選挙において基地問題オスプレイ配備問題が話題に上らないのは、私たち本土の選挙民が無関心だからだ。わが身に火の粉が降りかかりそうな事態になってはじめて声を上げるというのは、まことに自分勝手なことなのであり、書きながら自らを恥じている。

第一学習社有事関連3法解説
http://www.daiichi-g.co.jp/komin/info/siryo/7/030531/fr/frs6.html
 

2012年4月27日自民改憲案対照表
http://rijs.fas.harvard.edu/crrp/papers/pdf/LDP-Draft-Constitution-2012.pdf