苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

かつての大本営発表と今回のこと

 昨日、東京からの帰りの新幹線で読んだ保坂正康『「昭和」とは何だったのか』から抜粋。昨年の福島第一原発事故後の政府と東電と東大の先生たちと大新聞とTVの報道と重なり合うことが多い。

「ひとたび官製報道のみの情報管理の時代に入ったら、国民の悲劇は倍加していくという教訓を明らかにしたい。」p98

「戦いに敗れて撤退するのを部隊が転進と称したり、戦果を挙げて他の戦線に移動などというごまかしとは別に、発表文そのものを軍事指導者たちが面子にかけて朱を入れているうちに敗北が勝利になってしまうようなケースも多かったのだ。ここからは組織上の欠陥や日本語の表現を逆手にとって、事実を糊塗するケースも多かったという事実が浮かび上がってくる.これは昭和19年10月から20年に入ると、より顕著になっていった。」p103

「軍事に関する情報は、それを発する側は常に隠蔽したがるものであり、発表する時も、虚偽や誇大、そして責任回避はつきまとうものであり、国民はその発表文を単純に鵜呑みにしてはいけないということである。加えて、情報を発表する側もその内部では、面子をかけて正確な内容を教えまいとする官僚主義に毒されているという事実である。」p104

「太平洋戦争の期間、このさして長くない大本営発表文にさまざまな粉飾を施して国民を情報の虚構空間に閉じ込めたのは主に新聞の役割であった。言論が統制されていることもあり、たしかに新聞や月刊誌などの活字メディアには報道の自由がなかったのも事実だが、大仰な見出し、虚構を真実と思わせるような表現を用いて、国民に正確な情報を与えなかった。」p104

「国民に正常な判断を失わせ、政治指導者に都合のいい国民をつくりあげるためには、つまりは民主主義体制を崩壊させるにはと言い換えてもいいのだが、四つの条件が意図的に行われればいい。その四つとは、『教育の国家統制』『情報発信の一元化』『基本的権利を制限する立法』、そして『言論の暴力的封殺』となるのだが、こういう枠組みのもとでは国民は正確な除法を知らされないだけでなく、批判も許されず、ひたすら政府の言い分のみにうなずくことだけが要求される。」p106 

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 原発行政においては、「原発安全神話」による学校教育がずっと進められて来たし、電気事業連合会はマスコミ(TVニュース番組・大新聞のスポンサーとなり、評論家たちを抱き込み)をカネで支配してきたし、事故後は、政府は記者クラブ制度による情報発信を続けてきたし、そこで「海外メディアでは福島第一原発メルトダウンしている」という正しい情報を告げたジャーナリスト上杉隆氏は「デマ野郎」と罵倒されて追放された。実際には、東電と原子力安全・保安院が出し、記者クラブに属する大手メディアが垂れ流していた情報がデマだったのであるが。




  幡ヶ谷の教団事務所の近くにいたアキアカネ(秋茜)