苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

水垣渉先生の講演「教会の危機と教会の指導者」を聞いて

 昨日、御茶ノ水で開かれた牧会塾というものにはじめて出席して、水垣渉先生のお話をうかがった。水垣先生は波多野精一以来の京都学派。歴史学的手続きをていねいにていねいになさってから、御自分のお考えを、ほんの少し話すというスタイルでした。自分なりの概要と心に留まったことをメモします。

<概要>

1.二千年のキリスト教史は、歴史である以上、ひとりの人が全体を把握して教えるべきである。しかし、実際には膨大すぎる。そこで、水垣先生としては、「危機」の時代にフォーカスを絞ることで、全体を捉えるという方法を考えている。
 「危機」は日本語では危ないときという意味しかないが、欧米のことばではそれとともに、決断の意味がある。英語crisisの語源であるギリシャ語krinoは、裁く、わけるという意味。危機的な状況において、決断をしてそれを克服して、新しい時代を創造していくということ。
 こういういくつかの危機を捕らえるならば、教会史の全体への視野が開けるのではないか。


2.古代教父キプリアーヌスの時代は、キリスト教がまだローマ帝国の国教とされていない時代であり、全帝国的な教会への迫害すなわち、<ローマ帝国の宗教を崇めない者は死刑>という危機の時代だった。帝国は、ユピテルに生贄をささげたものには証明書を発行し、証明書を持たないものを処刑したのである。
 これをキプリアーヌスはいかに克服していったか?


3.迫害が起こると・・・
a.ある人々は信仰を告白して殉教した。
b.ある人々は信仰を告白し、苦難を経験しながらも、死刑をまぬがれて生きながらえた。
c.ある人々は賄賂をはらって生贄証明書を手に入れて身を守った。
d.ある人々は難を逃れて逃亡し偶像礼拝を免れた。地下にもぐった。
e.多くのキリスト者は棄教し、ユピテルにさっさといけにえをささげた。


4.迫害が去った後に生じたb,c,d,eの問題
aの殉教者は問題なし。

bの人々は迫害後、聖証者と呼ばれる。この勇敢な人々は、ある種、霊的英雄と見なされ発言力を持つことになり、それが教会の秩序にとってややこしい存在となる。

cの人々について、水垣先生はdの棄教者と同じようにみなして話していらしたが、これは事実に反する。教会会議の決定では、証明書を手に入れて犠牲をささげなかった者は、ただちに教会への復帰を認められたというのが事実。(水垣先生としては、偶像礼拝をした証明書を買ったのは、実質的に偶像礼拝をしたのと同じであるという価値観をお持ちなのだろう。おそらくキプリアーヌズとしては、偶像礼拝をしないために最善を尽くしたのだという判断をしたのではなかろうか。)

dの人々は、主イエスも迫害を受けたなら次の町へ逃げよと教えられたから当然、教会から除かれるわけではない。だが、第一回目の迫害では司教であったキプリアーヌスが殉教の道を選ばず逃亡したことは迫害が去った後、非難あるいは疑いの的にもなった。「司教でありながら殉教を恐れたのではないか?」と。だが、キプリアーヌスとしては、司教である自分が職務を果たし続けるために、殉教の道を選ぶべきではないと考え、むしろ地下に潜って教会を指導する道を選んだ。
 第二回目の迫害の時には、キプリアーヌスは戻ったところを逮捕され、尋問においては「私はキリスト者です」と信仰を告白して、殉教した。すでにキプリアーヌスとしては、自分の司教としてなすべき務めは終わったという自覚があったので、安んじて殉教の道を選んだのであろう。

eの棄教者で迫害後に教会に復帰を願う人々をどう扱うかが問題となった。これは大罪なので、軽々に教会に戻すわけには行かない。だが、英雄視された聖証者たちが、教会復帰を願う棄教者のために、復帰許可推薦書を書いて教会の指導者に提出したので、ややこしい問題が生じた。(水草・・・棄教者については、死の直前まで教会への復帰は認めず、死の床で信仰告白をした場合には、教会に復帰させることと決定された。死の床までイエスに希望をおいていることから、その人を主がお赦しになったことが確認されたと解されよう)

5 教訓
 キプリアーヌスは、帝国の迫害という危機、また迫害後に生じた棄教者の扱いという問題について、権威主義的にあるいは英雄主義的に、強制しなかった。むしろ、秩序と伝統を重んじて、教会会議を重んじて、実際に必要なことを基礎付けた。

 

<感想>
1.私は311地震とそれにともなう原発事故で生じた、特に、いつ原発が水蒸気爆発をするかわからないという状況のなかでの、原発近隣地域の諸教会の置かれた状況と思い合わせていろいろ考えさせられた。とくに若くて、幼い子どもをもつ伝道者たちの置かれる、牧師としての責任と親としての責任のジレンマについて。簡単に答えが出ることではない。

2.勇敢な行動を取りえた聖証者が問題化して、教会の分裂を招くという皮肉。私たちが、もしかりに危機において立派な行動をとることができたならば、決して傲慢にならぬように。「先の者が後になり、後の者が先になる。」と主イエスが言われた。

追記
3.水垣師は殉教について否定的な表現でのみ語られたが、殉教を高く評価する信仰のあり方はキプリアーヌスにおいてもあったと思われる。彼はそれを「勝利の栄冠」と表現しているから。筆者も殉教をあおることは決して聖書的ではないとは思うが、主のために生命をささげることを尊ぶ信仰はたいせつなことであると思う。殉教を尊ぶ信仰のないところに、殉教は起らず背教が起ることは、先の戦前戦中日本で証明済み。殉教を尊ぶ信仰は、古代北アフリカキリスト教会において共通していたと思われる。

追記
4.それにしても、キプリアーヌスが殉教を尊ぶ信仰をもっていながら、主が自分に与えたもうた司教という任務を果たすために、避難してあえて悪評を受けることをいとわず、司教としての任務を成し遂げたあとは、ふたたび殉教の機会が訪れたときには従容として殉教を選んだことは、彼がほんとうに主のしもべであったことを示している。