苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

一体となる前に

「それゆえ男は、その父母を離れ、妻と結び合い、二人は一体となるのである。」創世記二:二十四

 聖書は、正しい結婚の三段階を述べています。第一に父母から自立し、第二に結婚し、そして第三に二人は共に暮らし肉体的にも一つになるのです。親から自立し、結婚をして後にこそ、それは神様からの祝福として許されています。これに反して結婚関係外の肉体関係は、神の前で不品行と呼ばれる罪です。「不品行な者は、天国を相続することはできません。」
ところが、あるアンケートによると都内の女子高生の半分近くが「経験者」であるとのことです。創造主は夫婦の交わりをキリストと教会の一体性を象徴する尊いこととみなしていますから、これをもてあそぶ者に神は怒りを燃やされます。世の風潮がどうあろうと、親は子どもに結婚までセックスはだめだと教えなければなりません。
フリーセックスという風潮の最大の犠牲者は、おなかに宿った赤ん坊たちです。厚生労働省に届けられる年間中絶件数は四十万人ですが、闇中絶を加えると、殺される赤ん坊の実数は三百万人以上とされ、この数は年間出生数百二十万人の数倍にあたります。
生む生まないは女性の権利だという主張は中絶の実態を知ると、無理といわざるをえません。以下は中絶手術の実態をある婦人科に勤めた看護婦さんの証言です。
「私は一昨年、産婦人科のある病院へ勤めたのでございます。ところが、婦人科と申しますところは、子どもを産ませるところでなく、赤ちゃんを引っ張り出してしまうところなんです。・・・皆様は中絶とはどんなものかということをご存知ないかもしれません。本当にそれを毎日、目の当たりに見ました私は、いかにそれが無惨なことであるかということを、身をもってひしひしと体験したのです。生まれてくれば可愛い赤ちゃんで、可愛い可愛いと両親の愛を一身に集めて大きくなるべき人を、こんなに無惨に引っ張り出してしまうなんて、なんて可愛そうなことだろう。五ヶ月くらいの赤ちゃんを堕しまして、その赤ちゃんをそのまま病院の暗い土間のところへ捨ててあるのです。そうしますとときどきニャ―と赤ちゃんが泣いているんですけれども、だんだんその声も聞こえなくなって死んでしまう。・・・堕した赤ちゃんが合法的な赤ちゃんでしたら、埋葬屋に頼んで埋葬の手続きをすれば焼き場へ持っていって処置をしてくれるのですが、非合法のばあですと、それはやはり小さく刻まなけりゃいけないんです。・・・それをお便所へ持っていって流してしまうんです。」(生田目昭一『闇に哭く胎児たち』)これでもあまり残酷な場面は省いて引用したのです。
中高生には結婚もしないでセックスするのは罪であるとはっきり教えましょう。残念なことに、もしすでに身に覚えがある人は男性であれ女性であれ、犯してしまった恐ろしい罪を神様の前に心からおわびして、イエス様にすがりついて赦していただきましょう。主イエスはあなたのその罪のためにも十字架で死なれたのです。(通信小海108号2002年)