苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

兄弟

 旧約聖書ヤコブエサウという双子の兄弟が登場します。双子とはいえ、二卵性双生児であったらしく、似ても似つかぬ二人。兄エサウは子どものころは外遊びが好きで、長じては筋骨隆々で毛深く、ハンティングの名人となりました。性格は粗暴なところがあるけれど、さっぱりしています。好きな食べ物は当然、肉。他方、弟ヤコブは、家の中で静かにものを考えたりしているタイプで、豆料理などが趣味。毛深くもありません。性格は一見おとなしいのですが、実のところ執念深く、知恵がまわるほうでした。
 どうもこの二人は、ルナールの『きつね物語』の狼ときつねとそっくりです。もちろんエサウは狼型、ヤコブはきつね型。
 どちらが好みであるかは人それぞれでしょう。どちらが良くどちらが悪いというわけではありません。ただ、親としては自分の好みでえこひいきしてはまずい。ところが、この両親はえこひいき合戦をしてしまいました。マッチョのエサウに肩入れしたのは、当然、父親イサク。父は兄息子の獲って来る鹿の肉が好物だったからです。男はごちそうに弱い。
他方、一見おとなしいヤコブに肩入れしたのは母リベカ。粗暴なエサウとちがって、「ほら、母さんみたいな花が咲いていたよ。」と野のユリを一輪、持ってきてくれるような弟息子に女親の好みが傾くのは、やむをえないことでした。女は優しさに弱い。
 けれども、内心、どんな好みのちがいがあったとしても、親としてはそれを子どもに見せるべきではありませんでした。この親たちはここで誤りました。そして、この父母のえこひいき合戦が、兄弟の不幸を招くことになります。成人したヤコブは策略をめぐらし、エサウは腕にものを言わせて、相続争いを始めて、ついには殺意さえ抱くような関係に立ち至ってしまうのです。
 今回の聖書の教訓は単純なこと。単純だけれど、むずかしいことかもしれません。親は、本能にしたがって、子どもを決してえこひいきしてはならないということとです。えこひいきは、えこひいきされた子も、されなかった子も不幸にしてしまいます。
父たる者、長男がステーキを食わせてくれて、弟が煮豆を持ってきても、けっして兄のみを評価して、弟をないがしろにしてはなりません。そんなことをすれば、いずれ兄弟ともに不幸になるでしょう。母たる者、兄が母の日を忘れて野球に興じているのに、弟がカーネーションをひとかかえプレゼントしてくれても、弟のみを好んで兄を疎んじてはなりません。そんなことをすれば、いずれ兄弟はたがいに憎みあうようになるでしょう。
 あの子の個性も、この子の個性も神さまのかけがえのない作品。神にたくされたそれぞれの作品を、それぞれに感謝して受けいれたいものです。

「兄弟は、苦しみを分け合うために生まれる。」箴言十七:十七

(ずーっと前の「通信小海」に掲載した文章)

追記> というわけで、今、両親に感謝しているのは、姉、兄、私という三人兄弟をけっしてえこひいきしなかったことです。おかげで、父母は早く世を去りましたが、兄弟三人は仲がいいです。