苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

一度にすべてではなく

 

 神学生たちが「宮村節」と呼んだ宮村先生の十八番(おはこ)のフレーズがいくつかありました。「存在の喜び」については何度もお伝えしましたから、今回は「一度にすべてではなく」について。
 神様は、御子イエスによる救いを一度に啓示するのではなくて、旧新約聖書66巻を千年以上もかけて、「多くの部分に分け、また、いろいろな方法で」啓示なさいました(ヘブル1:1)。啓示にかぎらず、神のみわざは一度にすべてではなく、歴史の中で少しずつ実現していくものなのです。
 この教えを受けるまで、若かった私はひとりの理想主義者でした。「〜すべきだ」という思いがとても強かったのです。けれども、こうすべきだと思っても現実にはそうは行きませんから、がっかりすることが多かったように思います。多くの若者は、挫折を繰り返すうち、「いくら理想を説いたって、どうせ現実はこんなものだよ」という俗物になってしまうのでしょう。
 ですが、この「一度にすべてではなく少しずつ」という神のみわざの実現のありかたをわきまえるなら、私たちは現実世界に諦めている俗物でなく、理想のみを唱えて地から足が浮いている夢想家でなく、理想をこの世に実現する地の塩となることができます。