苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

最高裁、法の番人が法を破ったら

 無罪判決が出た小沢氏を強制起訴した検察審査会は、実は、架空だったそうである。最高裁が無作為に選んだ11人の検察審査員たちが、二回とも平均年齢が小数点以下二位までぴったり同じだったということは、昨年秋ごろラジオで聞いた。こんなことは確率的にありえないことである。しかも、検察審査会に出たことになっている検察官は、実際には出頭命令を受けておらず、出頭もしていないという。架空の検察審査会だから出頭しようがなかった。
 事実なら、ひどい話だが、客観的に見て事実としか思えない。法の番人である最高裁が自ら法を犯しているとは、なんと情けない。
 こちらを参照↓
http://civilopinions.main.jp/2012/07/729.html
http://civilopinions.main.jp/2012/07/731.html
http://civilopinions.main.jp/2012/08/824.html

  この国は戦後、民主主義になったといわれるが、実際には、戦前・戦後を通じて官主主義の国だというのが小沢さんの主張である。それで、小沢さんに言わせれば、政治を官僚から国民の代表である政治家の手に取り戻すことが、民主主義であるという。(だが国民としては、素人である政治家をそこまで信頼しているかどうか、筆者にはもう一つの疑問なのだが。)検察官も裁判官も官僚だから、彼らの既得権益を脅かす小沢さんは不都合な存在なのだろう。
 だが、検察ばかりか、最高裁までも架空の検察審査会を開いて、自分たちに不都合な政治家を強制起訴するなんていうことがなされるのであれば、この国の仕組みが壊れてしまう。こまったことだ。
 とはいえ、聖書的に考えたら、おどろくべきことではないのだろう。「義人はいない。ひとりもいない。」と聖書が言っている以上、最高裁判所の判事たちも一人残らず利己的な罪人なのである。

「義人はいない。ひとりもいない。
悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
すべての人が迷い出て、
みな、ともに無益な者となった。
善を行う人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3:10−12)

「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。」(2テモテ2:1−3)

追記>『戦後史の正体』の著者孫崎さんに言わせれば、米国からの自立を図り、第七艦隊なんていらない発言をした小沢さんはもう政治の舞台からおろすことに決まっているということなのだろう。別にこわれてはいない、これが戦後米国の傀儡となったこの国の仕組みということになるのか?